開けてみなければ分からない

2012年6月11日

リフォームの計画をすると、必ず直面するお話です。

リフォームを依頼されたとき、新築時や改装時の図面が残っていれば、それを参考に、図面がなければ現場で天井裏や床下に頭をつっこんで、家の構造を確認した上で計画をするわけです。

ですが大概の住宅は、床下に潜れるスペースもなければ、天井裏にも押入の上から頭を出せる程度で、だいたいの構造材の位置や大きさを確認するのが関の山で、断熱材に阻まれて筋交いの位置なんてよくわからない事のほうが多いわけです。

30年ぐらい前の住宅になると、残っているのは確認申請時に添付された1/100程度の図面のみということも多いわけで、その上、そこに描かれた情報が正しいという保証もなく(筋交いの位置が変わっていたり、そもそも存在していない事も多々あるわけでして…)そういう中で僕に限らず建築士の方々は想像力豊かに、「たぶんこうじゃないかな…」という感じで手探りで仕事を始めるわけです。

壁や天井を壊してしまえれば話は楽なのですが、リフォームの場合、居住者が生活している事がほとんどですので、非破壊&目視に頼るしかないわけで、いざ工事を始めてみると、足元がシロアリにやられていて、さすがに見なかった事にも出来ず、おそるおそる依頼者に工事費の増額の依頼をするハメになるわけです。

そのうえ規格住宅になると、ほとんどの部材は計算に基づいた工場生産品なので、アンタッチャブルなパーツがどこに存在するのかの見極めが、その後の計画を大きく左右します。壁や天井を捲ってみて、想像どおりならひと安心、違うなら対処方法を考えなくちゃなりません。

リフォームは新築と違って工事期間が短いので、現場で悩んでいる時間も少なく、扱う材料も少量なので、計画の変更は、結構ダイレクトに金額に跳ね返ってきます。ですから、出来る限りまとまった図面とかメモとか写真なんかを残しておいて頂くと、非常にありがたいわけですね。

ですが、設計図って結構邪魔なんですよね…普通の家にA3の大きさの書籍やファイルを置く本棚があるとも思えず、保存されていても、昔の青図は感光紙ですから、保存状態が悪いと端から変色して、真っ白になって読めなくなっていたり……そうなってくると、またしても目視と経験による第六感に活躍してもらわなくてはならないわけです。

改装工事が割高になる理由には、こういう「省く事のできない手間」の存在も大きかったりします。

ペアガラスとシングルガラスの差

2012年2月8日

手がけていた改装工事が一段落したので、設計から工事完了までに気づいた事等をつらつらと何回かに分けて書いていこうと思います。

大きな掃き出し窓のガラスの入れ替え工事後の写真です。左がペアガラスで、右がシングルガラスです。

見てのとおり、シングルガラスの側には結露が発生しているのが分かると思います。ガラス面から逃げる熱の量は、壁から逃げる熱の量とは比べ物にならないぐらい大きいので、こういった所に結露が発生するわけです。しかし建物内外の温度差があり、建物内部で人間が生活して水蒸気を発生させていれば、冬場は必ず結露がおこります。この建物の場合は、ペアガラスにした事によってガラス面の結露が減少した結果、今度はアルミサッシの枠で結露が起こるようになりました。

昔の気密性があまり無い建物の場合は、結露はほとんどありませんでした。暖房は局所暖房でしたし、すきまもたくさんあったので、結露が起こり様がなかったからです。技術の発達が、新しい問題を起こす事は本当に良くある事で、結局そういったもののバランスの上に僕たちの生活は成り立っているわけです。

結露に限らず、建物の不具合というのは、常に弱い所に集中して起こってきます。 例えば建物の構造的な強さの面でも、建物全体がいっぺんに壊れることなんてあまりありません。まず一部分が破壊して、その他の部分が連鎖的に破壊されていきます。いくら局所的に強い部分をつくっても、必ず弱い部分から問題が起こり、全体に広がっていきます。

だからこそ、何を選択して、何を我慢するのか、その見極めのバランスが大切になってくるのです。

ちなみに、ペアガラス工場を見学した事があるのですが、ガラス自体の生産はかなり自動化されているのに、ペアガラスの張り合わせは人力でやっていました。窓の大きさは千差万別なので、まだまだ人の手で製作する方が効率がいい世界なんですね。

新年のご挨拶

2012年1月4日

年賀状は基本的に書かないようにしているので、Blogでご挨拶

昨年はこの国に住んでいる限り、どんな人でも東日本大震災の影響を、大なり小なり受けざるを得なかったわけです。実際に被災した人はもちろんですが、関西電力管内の人は、この冬に節電要請が身に降り掛かるなんて想像もしていなかったのではないでしょうか。

この社会は、想像している様相よりも遥かに複雑に絡み合って存在しているけれど、その繋がり自体は弱い結びつきでしかありません。弱い結びつきが連続的、重層的になっている為に複雑化しているわけです。

建築という行為もまた、おなじようなものです。
行政がかける制限のひとつひとつは、それほど複雑なものではありません。構造計算も、よほど複雑な建物でない限りは、ルールに則って計算されます。ただそれらが、あるスケールを超えると、手に負えなくなるほど複雑化していくということです。

そして建築家である僕たちが、複雑な行政手続きと、コンピューターによってブラックボックス化した構造計算の上に建物を成立させても、常に「想定外」という名の災害がやってきて破壊していきます。

法律も構造計算も、どちらも枠組みを提供するものである限り、どうしても現実の枠組みから外れた事象=「想定外」がおこります。矛盾といってしまえばそれまでですが、この矛盾を解決する方法は今のところありません。

複雑なものを単純化して解いてきたのが、現在の科学技術ですが、ひょっとしたら、複雑なものを、複雑なままに解く方法があるのかもしれません。コンピューターがもっと発達すれば、そういった問題を解けるようになるかもしれませんが、少なくとも今の技術では不可能です。

残念な事に、複雑なものを解決する(したようにみせる)ことができるのは、人間の「経験」と「直感」です。経験と直感を働かす為には、自動化できる仕事は、可能な限り自動化してしまって、頭と手をつかう時間を増やすしか方法がありません。

頭で考えて、手を動かして、フィードバックしてまた頭を使う。

それが多分、どんな分野でも求められていく「物事の有り様」なんだと思っています。

暑ければ脱げばいい

2011年5月25日

僕の住む関西では、まだ「節電!節電!」といいつつも、東電管内ほど切羽詰まってもいないので、「それなりの」節電をして「それなりに」電気を使う生活をしています。おそらく夏になっても福井県の原発が一斉に点検に入り、再稼働出来ないという状況にでもならない限り、この傾向は変わらないでしょう。いわゆる「対岸の火事」って奴ですね。

考えてみれば電力業界というのは、一方で電気を売りながら、もう一方では「節電をお願いする」という不思議な業界でもあります。他の業界で考えてみると、例えばTOYOTAが「うちの製品にはあまり乗らないでください」などとお願いする事は、リコールでもかかっていない限りあまり考えられないわけですが、どうも電力会社というのはそれを常時、しかも本気でやっているわけです(思惑はいろいろとあるのでしょうけどね)。

とりあえず対岸から眺める関西人の僕としては、東電管内の人や企業が、どのように工夫して節電を行うのかが気になってます。すくなくとも切羽詰まっているぶんだけ関西人よりは頭を使っていろいろするに違いない。だから無数の効果のないダメなアイデアの中から、ものすごく効果的なアイデアが出てくるだろうと期待しています。それに「原発事故は文明災」とか「40年前の生活に戻ればいい」なんてことを口にするよりは、現状で実現可能なアイデアを考え出した方が生産的です。

植木等の無責任シリーズなどを観ると、麻のスーツに開襟シャツ、帽子に扇子まで装備しています。あれは映画ですし、今から観てもおしゃれな格好を皆がしていたとは思いませんが、映画の設定としては「職にあぶれた人が成り上がる」話なので、そんなに当時の現実から離れていたとも思えないんですよね。ということは、昔の人は暑ければ暑いなりの服装をしていた、すくなくとも開襟シャツぐらいは着ていたはずです。

比べて今のビジネスマンはどうですか?会社に麻のスーツなんて着ていった日には、多分出世出来ないでしょう。営業マンも極めると、真夏に背広を着てネクタイをしていても、取引先では汗すらかかないそうですよ。営業マンとしては正解なんでしょうけど、人体が持つ代謝機能的には間違ってますよね。

とかく日本人は「我慢は美徳」とか「忍耐」とか「欲しがりません。勝つまでは」とか、とりあえず「耐える」事に大きな価値を置いているような気がします。ですが暑いのを我慢してエアコンのスイッチを入れなかった為に、熱中症で病院のお世話になったり、最悪の場合は命を失ってしまうなんていうことは、決して褒められた事じゃないはずです。

暑ければ脱げばいいし、どうしても我慢出来ないなら、図書館や喫茶店などエアコンをつけざるをえない施設に一時的に避難するのもいいと思います。不快・不便を我慢するのではなく、なるべくそれらが少なくなるようなアイデアを実行するほうがいいのです。不満を口にしながら生きているより健康的ですしね。

そろそろ「我慢は美徳」という考えとお別れしたほうがいいんじゃないかな…というお話でした。

具体的かつ曖昧な数字

2011年5月12日

菅直人首相が中部電力の浜岡原発を停止させます。その根拠が「今後30年の間に、大地震が発生する確率は87%」だからだそうです。

この発言の本当の意味は「歴史的記録から推し量ってみると、東海沖から紀伊半島沖の海底で周期的に地震が起こってきたように思えるので、多分もうちょっとしたら大きな地震が起こるんじゃないかな」というぐらいの意味です。それを「今後30年」とか「87%」といったような「具体的かつ曖昧」な数字を出してしまうからパニックになってしまうわけです。

それで、この「具体的かつ曖昧」な数字というのが今回のテーマです。

文字通りの意味で「今後30年間で87%の確率」で地震が起こるというなら「幸いにも今年はもう地震が発生しなくて、なおかつ来年から30年間に地震が起こる確率」はもっと高くならなければならないはずです。なぜなら発生するといわれているのは活断層型ではなくプレート型の地震ですから「時間の経過=プレートのひずみ量の増大」であり、プレートがひずみを吸収出来なくなったその時、地震が発生すると考えられているからです。ではいつか限りなく100%に近い値になるのでしょうか?もちろん違いますよね。

科学っぽい言い回しで「今後30年間で87%」という言葉の意味を述べると「発生確率というものを定義し、ある「仮定」を基に計算をした結果が「87%」でした」という程度のことでしかありません。でもこれは一般的な人が思い浮かべるイメージとはすこしかけ離れているような気がします。

現実的な事を言えば、根拠を無視して仮定を設定できるなら、どんな数字だって作り出す事はできます。つまり具体的な数字を出すときは、計算の元になった仮定や根拠と一緒に出さないと意味が無いのです。

しかし今回、国の代表者が「前提条件」も述べずにただ数字だけを発表してしまって、マスコミも前提条件や根拠に対して突っ込まないということが起こった結果、「今後30年で87%」という数字だけが一人歩きしてしまったあげくに、発電所が停止してしまいました。

同じような例として、福島第一原子力発電所から漏れてくる放射線の値も最初は「○○シーベルト」って言ってたのが、最近は「○○ベクレル」と変わっています。(ちなみにチェルノブイリ事故の時代は「○○レントゲン」と線量を発表していました。これは単位系が新しくなったからです。)「シーベルト」と「ベクレル」、単位が違えば表す意味も当然違うわけです。でも実際のところ数値の大小だけではなく、しっかりとしたイメージを持って数値の意味を確認している人は少ないのではないでしょうか。

残念なことに、地震予測はいまだに不確定な技術なのです。
兵庫県南部地震も福岡県西方沖地震も新潟中越沖地震も、そして今回の東北地方太平洋沖地震も、事前に発生確率なんて聞いた事なかったのでないでしょうか。いままで地震発生確率なんて口にしなかったのに、いきなり「87%」なんて言い出すモノだから困ってしまうわけです。

「地震はおそらく来るでしょう。」
「想定している場所で、想定しているメカニズムで発生したと考えた時、
 おそらく現在発表している程度の規模になるでしょう。」
「でも実際の発生時期も規模もわからないよ」

本当はこう言ってるだけなんです。残念なことなんですけどね……

ということで、僕たち一般人が出来る事といったら、いつ地震が来てもいいような心構えと逃げる準備をしておくぐらいなんです。防災グッズを揃えたり、避難場所を確認しておくなんてことまで出来たら、なお良いでしょうね。

“失敗は伝わらない”

2011年4月2日

この動画を観ていただくと分かるのですが、どうやって過去の事件や失敗を伝えていけばいいのかはとても難しい問題です。基本的に人間は”忘れる”ように出来ているからです。

阪神大震災の時、家屋の被害が多かった地域は、昔の河川を埋め立てた箇所とかなり一致していた事が知られています。六甲アイランドのような埋立地も液状化現象で多くの被害を受けました。しかし再建した神戸に行くと、災害復興住宅が海岸近くに建っていたりします。大きな建物なので安定した支持地盤まで杭を打っているでしょうから、次に大きな地震がきても建物が倒れる事はないと思いますが、周辺の地盤はやはり液状化するでしょう。

人が忘れてしまうならシステムに記憶させておくべきなのですが、行政が率先して山を削り海や川を埋め立てている現状では、よほど優れたリーダーが出てこない限り、地盤の不安定な土地に建物を建てられないようにすることは難しいと思われます。

震災の後、防災グッズが飛ぶように売れていましたが、おそらく一年後にはほとんどの人が忘れていることでしょう。

災害を記憶するというのはとても難しい事なのです。

ささやかだけど、出来る事はある

2011年3月12日

確定申告の話をしようかなと思っていたのですが、東日本巨大地震が起こったので、エントリーを変えます。

被災現場の映像を見る度に、建築士の出来ることの限界みたいなものを感じずにはいられません。木造の個人住宅をどんなに強度を持たせて建てても、7mの津波に耐える事はないでしょう。コンクリートの塊である原子力発電所ですら不具合が出てしまうのです。巨大地震や津波の前では、運がよかった悪かったなんていうことは意味を持ちません。自然の力の前では、人間の力なんて微々たるものなのだという事を認識するべきなのです。

被災された方々は、これからつらい時期が続きます。あなたの廻りで、あなたを助けてくれている人も被災者かもしれません。助け合って乗り越えてくださる事を信じています。

幸いにして被災せずに済んだ方々も、ぜひ何ができるか考えてください。そして間違っても支援をする為に無理をすることはやめてください。「助けることの出来る人」が、「助けられる人」になることは避けるべきです。節電、不必要な電話や自家用車の使用を控えるというレベルでもいいのです。

行政の中にも被災者がいます。混乱していて当たり前です。今は彼らを批判するべき時ではありません。信じて待つことはつらい事ですが、それでも希望を捨てず、自分達のやるべき事をしながら「待つ」べきなのです。

部屋が寒いという問題

2011年1月24日

年間を通して、今が一番寒い時期です。こういう時期なので「寒さ」と関連のある話をしようと思います。

日本では暑いときと寒い時に増える死因というのがあります。例えば夏に多い熱中症とか、冬に多いインフルエンザ等、人間は暑くても寒くても、体に不調をきたすことが多いという事は、直感的に理解できるものだと思います。そして死因の統計を取っていくと、冬場にたくさんの人が、急激な温度変化によって亡くなっている事が分かっています。その多くは心疾患とか脳血管障害だったりするのですが、これがいわゆるヒートショックってヤツなのです。

ヒートショック、ご存知ですか?

ヒットショックとは、温度変化の激しい環境にさらされると、血圧が急変して、脳卒中や心筋梗塞などが引き起こされる現象のことです。暖かい場所から、寒い場所に移動すると、人体は体温を保とうとして血圧が変動します。その変動についていけなくなると、血管が破れたり心臓の動きが不規則になったりと、いろいろ困った事になるわけです。

ヒートショック対策としては、生活する範囲にあまり温度差をつけないということになるのですが、これが北海道と東北の一部を除く地域の家では、けっこう難しいことだったりします。北海道ぐらいの寒さになると、基本的に家中を暖房するのが当たり前。冬の間は暖房はつけっぱなしということも多いのですが、それ以外の地域では、気候的にも部屋ごとに暖房する方が効率がいいからなんです。最近ではトイレや脱衣所、風呂場に暖房を設置するようになってきていますし、後から設置出来る機器も多く販売されているので、そういった設備を利用されている方も増えています。ですがそういった設備ではカバー出来ない場合もあります。

冬の朝、寒くて布団から出られないなんて記憶はありませんか?寝ている時、寝具の中の温度はほぼ体温と同じ35度前後の温度を保っています。近年は住宅の断熱性や気密性が上がっているので、寝ている時に暖房を切っても以前の住宅に比べると室温が下がりにくくはなっているのですが、それでも真冬の明け方なんかは10度以下になる事もあります。そういう環境で、明け方にトイレに行こうとしたら、布団の中は35度。布団から出たら10度。廊下やトイレはさらに寒い、となればヒートショックも起こるというものです。

対策としては、やっぱり暖房をかけて寝るという事になるのですが、開放型の暖房器具を寝ている間もつけっぱなしというのは、火災の問題もあり、かなり抵抗があります。エアコンだって電気代が気になってしまいます。そもそもエアコンの暖房では設定出来る温度が結構せまいので、ユルく暖房をするのは難しいですし、何よりも空気が動くので直接風が当たると体温を奪われてしまいます。オイルヒーターのような輻射熱を利用する暖房を弱くかけておくのは良い手かもしれませんが、これも電気代が気になります。

なにか火災が起きないような、そしてあまりエネルギーを消費しない熱源を確保出来ればいいのですが、これといったモノはありません。家全体を暖めておく暖房があればいいのですが、気候が温暖な地域ではなかなかそこまでの設備を導入するのは、コスト的に難しいことが多いので、やはり各人で工夫して頂くしかないのが現状です。建築家としても、高い断熱性能の仕様で設計すること以外、これといった解決策は無かったりします。

日本でのヒートショックの発生件数は、世界的に見ても多い事が分かっています。原因は夏が暑い為に「夏は暑く、冬は暖かい」よりも「夏は涼しく、冬は寒い」という居住環境を選んできたことが一因だといわれています。ですが技術も材料も改良されてきていますので、しっかりと断熱した家を造る事で、ある程度の発生件数を減らす事が出来るようになると思われます。

家全体に空調をかけるコストが安くなれば、諸外国並みの数字に落ちつくとは思いますが、たとえエネルギーコストがゼロになったとしても、完全に解決はしないという難しい問題ですね。

多人数と暮らす

2011年1月13日

「孤独死」という言葉は、英語でも「kodokushi」で通じるぐらい、近かごろ増加している問題です。「過労死」という言葉が同じように「karoshi」と、発音そのままに英語になっているところから考えると、日本に顕著な問題なのかもしれません。

孤独死などが起きやすい環境というのは

1. 高齢者

2. 独身男性

3. 親族が近くに住んでいない

4. 職業についていない

5. 慢性疾患を持っている

6. 隣家に無関心な賃貸住居に住んでいる

などといわれています。 日本の家族形態は、核家族が約6割、単身世帯が3割ですから、子供が独立し、配偶者に先立たれ、慢性疾患を煩いながら定年退職した男性は、まさに孤独死予備軍と言ってもいいぐらいです。「核家族化」なんてずいぶん前からいわれていますが、核家族という形態は江戸時代からすでに一般的でした。江戸は当時世界最大ともいわれていた巨大都市でしたから、都市生活に向いた家族形態なのかもしれません。

「孤独死」という問題が起こった時、「親族と疎遠だった」とか「地域の繋がりが希薄だった」等と、個人や地域の問題にしがちですが、実際はかなり広範囲に及ぶ社会問題であるわけです。ビジネスがグローバル化した世界では、世界中に人もモノも飛び回ってますから、「親族の近くで暮らす」という事は、人によっては、かなりの制約を受けて生活することになりかねません。「プライバシーが欲しい」、「他人に煩わされるのは嫌」といって、都市で一人で楽しく暮らすのもいいものですが、いよいよとなった時に「他人と暮らす」という選択肢を持てるかどうかというのが、この問題を解決する要因だと思っています。

最近はシェアハウスやグループホームも増えてきましたが、まだまだ日本の賃貸住宅はバリエーションが少なく、他人と部屋をシェアすることもままなりません。キッチンや風呂、トイレなどの住宅設備は高価ですから、清潔に使用するという事さえ徹底出来れば、少人数でシェアした方が効率がいいのですが、なによりも「他人と住む」ということの心理的ハードルが高いのが問題です。 親友や親兄弟と長期旅行に行った結果、不仲になった経験がある人は多いと思いますが、こういうのは「他人とべったり一緒にいるということ自体がストレスだ」という良い例ではないでしょうか。

「他人と暮らしたいけど、プライバシーは欲しい」という相反する問題は、なかなか解決が難しいと思われます。 そしてこういう問題は、万人に当てはまる解答というのが無いので、相談されると困っちゃうわけです。孤独死を避ける為に伴侶を求めるという本末転倒なことはお勧め出来ませんから、やっぱり腹をくくって他人と暮らすという選択をしなくちゃいけない時代になるのかもしれません。

極私的な解決方法として提案したいのは、「他人と暮らす」ではなく「多人数で暮らす」ですね。赤の他人、それも国も民族も言葉も宗教も、みんなバラバラの人間が、食事だけ一緒に食べるという約束をして、同じ建物の中で勝手に生きているのがいいなぁと思っています。 インド人とイギリス人と日本人でカレーを食べたり、イタリア人と日本人でピザを食べたりすると楽しいかもしれませんよ。喧嘩になる事もあるとは思いますが、どうせ興奮したら地の言葉が出るものです。それぞれの国の言葉で喧嘩すれば、意味も多分半分ぐらいしか分からないでしょうからダメージも少ないと思うんですが、どうでしょうかね。

モノの見方を変える

2011年1月11日

これから生きていく事は、撤退戦を戦い抜く事でもあるわけです、というのが前回の終わりでした。

昔から、殿(シンガリ)は、戦上手な人がまかされるように、撤退しながら戦うというのはとても難しいことです。逃げるだけでは追いつかれるし、かといって踏みとどまっても援軍は期待できません。逃げながら戦うというか、反撃して相手の追撃スピードを遅くさせているうちに、機をみて全力で逃げられる隙を探すわけです。

隙を見つけるには、正確な情報が必要になります。「なにが正しいのか」というのは個人で変わってきますが、今回はモノの見方を変えると、情報も変わってきますという話です。

例えば、預金通帳を見てみると、貸し借りした金額の記入場所が、一般の帳簿の場所と反対になっている事が分かります。これは「銀行に預金する」ということは、銀行にとってみれば「いつか必ず返さなくてはならないお金を借り入れる」ことになるからです。僕たちの預金は、銀行にとったら「負債」になります。「銀行に預金している」と「銀行に貸し付けている」はずいぶんイメージが違いますよね。

「銀行に貸し付けている」と考えはじめると、銀行を選ぶのも慎重になります。より高い金利の銀行を、より金利のいい預金プランを選択するのも当然になってきます。口座の維持手数料はゼロですから、複数の金融機関に口座を開設して、金利のいい金融機関に預け直すのもひとつの戦略になってきます。

もうひとつ例を挙げておきます。 「住宅ローンで銀行からお金を貸りてる」といいますが、これは「銀行の住宅ローンという金融商品を購入している」とも考えられます。

住宅ローンの本質は「過去の一時期に、住宅購入費という現金を貰う代わりに、長期にわたって現金を銀行に渡す約束」です。約束が長期にわたるために、銀行はリスクを産出して、金利を設定し、保険をかけます。いくら潰れかけたら税金が投入される金融機関でも、リスク管理はちゃんとしてます。

それに比べて、購入者の方はどれほどのリスクを算定しているかというと、ローンの担当者に返済プランを出してもらって、他所の金融機関と見比べる程度という人が一番多いのではないでしょうか。むしろ「いくら融資してもらえるか」の方に眼がいってしまう人が多いと思います。

いまはパソコンを買えば、表計算ソフトがついてくる時代です。長期にわたる複利の計算なんてすぐにできます。ということは、ある程度の予測をたてて、お金に関する計画を建てる事もそんなに苦にならないはずです。 今の時代、情報は限りなく無料に近づいていますので、大きなお金を動かす前には一度現実的な数字を作って、自分で考える時間を取るのが大切になってくると思います。