流せない。流されない。

2020年3月2日

日本はほぼ水洗トイレですが、海外ではそうじゃないこともあります。日本の下水道普及率は8割弱。東京ではほぼ完全に普及していますので、町中で暮らしている限り、汲み取りの便所に当たることはないわけです。海外に渡航すると、わりと先進国でもトイレに紙を流せなかったりします。最近行ったところでは韓国でも場所によっては紙を流せないところがあった記憶があります。

紙がトイレに流せるって、結構凄いことなんですよ。まず水によく溶けるけど、使用している時には破れない紙がいるわけです。次に、紙が詰まらない管径の住戸内配管がいるわけです。そして下水道が家の前まで来ている、この3つが揃わないと、トイレに紙が流せないわけです。

で、紙不足のデマです。トイレットペーパーまで買い占められています。輸入品のトイレットペーパーまで買い占められている画像も見ましたが、輸入品のペーパーは、日本製ほど柔らかくもなければ、水に溶けやすいことはないとは思うんですよね。たくさん使えば、流れない、トイレが詰まる、といったことが起こるとは思うんですよ。トイレが詰まると、気分的にも経済的にも哀しいことになるんですけどね……

そもそもトイレットペーパーを輸入しても儲からないわけです。嵩張るわりには重さはない、空気を輸入してるみたいなものなので、あまり運送効率の良い製品ではないのです。おそらくほとんどの国で内製品なのではないでしょうか。まぁ不足するなんてことはまずないでしょうね。

デマを流す人は、軽い悪意や、愉快犯的な軽いブラックジョークのつもりだったのかもしれません。そもそも悪意がない、まったくの偶然であることもあります(詳しくは「豊川信用金庫事件」でググるといいですね)。発端はどうあれ、拡散する人がいなければデマにはならないわけで、デマを拡散することも同等によくないわけです。

デマをデマと判断するためにも自分のアタマで考えないと、すぐに流されてしまいますよ……(自戒も込めて)。

ウイルス対策ってなんなのさ

2020年2月29日

ここ最近、思っていることをつらつらと……

世間はコロナウイルスに対して、学校が休みになったり、イベントが中止になるぐらいにはセンシティブになってきています。買い占めなんかも起こったりしているみたいで、トイレットペーパーなんかが買い占められているなんて聞くと、「いつのオイルショック」なんだと思ってみたり……

個人的にも、計画していたイベントがキャンセルになったりしたのですが、仕事に回す時間が増えた!と喜んだ瞬間に、狙ったように次の予定で埋まったりして、なかなか上手いこと回らないなぁと感じている日々です。

いまはコロナウイルスの心配をみんなしていますが、じゃあ同じウイルス疾患であるインフルエンザでどのくらいの死亡者が出ているか、調べたら毎年1万人ぐらい。コロナの比ではないくらいの規模で死者が出ているんですよね。

いまコロナウイルスのワクチンができたら、多分摂種希望者が殺到すると思うんですよ。でもインフルエンザワクチンを予防接種している人は、それほどいないと思うんです。ちなみに僕みたいな仕事、不特定多数を相手に喋ったりする仕事をしていると、インフルエンザの予防接種は、もう必要経費ぐらいの感覚です。インフルエンザについては流行するタイプが外れると無駄になるとか言われるのですが、未来なんて予測するだけ無駄なので、凡人は粛々と注射するのみです。

そういえば、風疹の抗体を持っているか調べたら、全然なかったので注射しました。こういう予防接種がなかった時代は、近くに麻疹だのおたふく風邪だのを患った子供がでると、お家に一晩泊めてもらって、わざと感染させてもらって抗体がを作っていたりしていたわけです。わざととはいえ、感染するリスクを考えると、注射1本で済むんだからいい時代になってるわけです。

どこかの元首相が「頑張ってマスクをしない」なんて言ってましたが、頑張れば病気にならないなら医療なんていらないわけで、病原体やウイルスは人間の事情なんてこれっぽっちも忖度してはくれないわけです。そもそもウイルスは、諸説はあれど、生物ですらないわけですからね……彼らに意思や欲求なんてものはなく、個体を増やす条件が整えば勝手に増えるわけで、人間にできることは、ウイルスが増える条件を悪くするぐらいです。

未知のウイルスと聞くと不安も高まりますが、コロナウイルスへの対策として勧められていることは、インフルエンザへの対策と変わりません。人混みを避け、手洗いを慣行し、しっかりと休息をとって体力をつけるetc…今年は、皆さんがせっせとウイルス対策をしているおかげで、インフルエンザにかかる人も減っているようです。

インバウンドだ、オリンピックだという感じで、ヒトの流通が止められない時代になっています。もう海外のどこかで何かが流行れば、日本にもいずれ入ってくるのは防ぎようがないわけで、結局は個人で出来ることを地道にしておくのが、最善手なんですよね……

ソメイヨシノって一代限りなんですよ…

2019年3月31日

3月は年度末だったり、確定申告だったりでドタバタでした。まぁしょうがないといえばしょうがないのですが、来月には元号が変わるようですし、ドタバタはまだまだ続くのでしょう。

で、日曜にも関わらず仕事に行った出先で写真を撮ってきたのですが、ソメイヨシノって接ぎ木なので、一代限りなんですよね。だから樹が弱ってきたら植え替えるしかないわけです。その上虫もつきやすい樹なので、結構手入れ大変なんですよね。

僕の事務所から駅まで、個人宅に大きな桜の木があったのですが、この季節になって無くなっていることに気がつきました。自分の住んでいる町のことも、変わったことに、ある日突然気がつく程度にしか知らないわけでして……

顔も知らない誰かが管理してくれているおかげで、僕たちは毎年桜を楽しめるわけです。

また手抜きのツケを払うことになるんでしょうね……

2019年2月20日

色々書こうとしていたのですが、ひと言言いたい事件が目白押しで、前回から間隔が開いてしまったのですが、やはり建築関係者としては某マンスリーマンションの問題にひと言いいたい……わけでもない……それほどでも……今更?……ニュースで見る限りでは、マンションの室と室の間の壁が、アッパッパでしたという話なんですけどね。

僕もマンションの設計は何軒か携わったことがあるのです。で、賃貸マンションの設計をしていた時は、壁厚をいかに削るかというのは、結構工夫のしどころだったりします。当然ですが、家主としては、1cmでも広く提供して、1円でも賃料を高く取りたいわけです。つまり49.9平米より、50平米の方が賃料高くできるので、無駄なことは何一つしてもらいたくないのです。(対極はデザイナーズマンションですかね。アレは無理、無駄の塊ですよ……)そこで設計者としては、ちゃんと住めて、維持費も一般的で済むような建物を考えるわけです。

ここ数年、マンスリーマンションのような、短期で回す廉価なマンションに住んでる人達から、冗談のようなというか、冗談であって欲しいような体験がネットのあちこちで囁かれてきたわけです。

曰く、宅配便の配達員が押したら101号室のチャイムを押したら、103号室の住民が出てきたとか……ティッシュを取り出す音が隣から聞こえるとか……一室で語学教材で勉強していたら、両隣も語学力が上がったとか……

ネットで探せば色々出てきます。まぁ業界人ならだいたい想像はできるんですよ。どうやってコストを減らすかなんて。でもね法律ぐらいは守ってるだろうとは思っていたんですよ。法律ぐらいは。でも、それすら守ってなかった。東証一部上場企業がですよ。ホント悲しくなりますよ……

建設業界は、今までも大きな問題があるたびに、法律によって規制が強められてきました。構造計算書偽造問題とか、覚えておられますでしょうか。あのあと、建築士は三年に一度は講習を受けねばならないとダメになりました。本来は確認検査を行うところの問題だと思いますが、そのツケを全国一律に建築士全体が薄く払わされている状態です。

本来は法律なんて少ない方がいいんですよ。ショボい法律はショボい利権がを産むから。そしてわけのわからないことで儲かる構造を作りたがる人ほど、ショボい能力しかないことが多いんですよね。ショボい人間だから、生き残るためにそういう努力をしている面もないわけではないのでしょうけど……

で、まとめると、また建築基準法が改正されて、書く書類が増えるのねっていう愚痴です……悲しいけど、不動産屋や建設業界はより、建築士関連の力がないから、また僕たちはツケを払わされるんですよ……

言葉の話①

2019年2月1日

建築やっていると、空間やものの在りようを言葉で表現する必要に迫られます。

そもそも文筆家や詩人でもないのに、言葉を操らなければならないというのは、ものすごく負担です。だから建築には向き不向きがあると思います。技術的な話ですませたくても、それで相手にして納得してもらえなくなると、途端に難しい言葉を使わなくてはならなくなってきます。

学生の頃、なぜか建築界隈では、フランス思想の言葉が流行っている時期がありました。デコンとか何とか……僕は、そのとき、先輩方や偉い先生が何を喋っているのかさっぱりわからなかったし、今でも理解できないけど、自分で仕事をしてみてわかったのは、借り物でもいいから、それっぽい言葉を紡いでいかないと、説明出来なかったのじゃないだろうかと思うようになりました。

だいたい思想の言葉を、三次元の実際の建築に翻訳することは無理があると思うわけですよ……あのときに難しい言葉で、ハリネズミのように武装した結果、一般人からはそっぽを向かれて、建築家が作るものは、わけがわからない変わったものだという認識になっていったのではないのかと思っているわけです。

それはそうとして、言葉というのはすごく大事で、ダイレクトに届けばそれでいいというものでものないし、時間をおいて届くものもあるし、ミスリーディングされたものが意味をもつ場合もあります。でも相手がどう受け取るかということは全く保証されないので、プレゼンや打ち合わせに行くたびに、後から、ああ言えばよかった、あれは不味かったという残念な気持ちばかりが湧いてきます。そして自分がダメだと思っていても、評価してもらえたりすると、全く何が何だかわからなくなってきます。

クライアントの要求が、一般的なものとかけ離れている場合もあります。それを技術的に一般的なものにしていくわけですが、どうしても最後まで、何とも言えない要求のまま、突っぱねられることだってあります。要求どおりの仕様にしているはずなのに、出来上がったら文句言われることもあります。クライアントが言ってることを、会議の出席者が全員、同じように理解して、プロジェクトを進めていても、最後の最後に出てきた、たった一人の空気を読まない意見で覆されることだって多々あります。

じゃあミスリーディングをなくせばいいのかというと、そういうわけでもないところが痛し痒しなわけですが、このあたりの情緒的な判断がつきまとう限り、いくら人口知能が進んでも、人間の領域は無くならないと思える領域でもあります。

まぁ建築家とお付き合いすることになった人は、なるべく長時間、その人と接して、建築以外の話題で話すようにして、ギャップを埋めていけば、それなりに仕事がスムーズにいくのではないかと思います。

お金より権利をもらう方がいい

2019年1月24日

前回は、会社が求める人間像の話を書いていましたが、労働者として、それに答える義務はないよねって話です。

もう少ししたら、春闘とかベアとかいう言葉がニュースから聴こえるようになるわけですが、あの話がよくわからないんですよ。労働組合とかそういうものを斜めに見ているわけではないんですが、求めるところが違うんじゃないかという感じでしょうか。

ボクはいわゆる「ロスジェネ」世代でして、会社の儲けを確保するために新卒の採用人数で辻褄を合わせていた時代に学校を卒業しました。なので、今頃になって企業が「40代の技術者が不足しています」と訴えるのを自業自得だと思って、斜めに見ているわけです。みんな自分の会社に、すごく思い入れというか所属意識を持ちがちだと思いますが、残念だけど、ボクはあまり会社なんてものを信用できない、目先の利益にとらわれて、20年後のビジョンがなかった故に、今苦しんでいますと言われてもねぇ……

最近では人材が足りないから、外国人労働者を入れましょうとか言い始める始末で、日本人ほど外国人は優しくはないから、そのうち痛い目に合えばいいんじゃないかな……ぐらいにしか思いません。ボクはいろんな国の人がウロウロするのは、いいと思っていますけど、奴隷のような待遇でしか迎えられないならやめたほうがいいと思っています。

外国人が多くなると、彼らも権利を主張すると思うんですよ。当たり前だけど、働いた分はお金をよこせ!って。当たり前だけど、これが日本の会社はできないし、労働者も賃金を上げろ!って言わない。声を上げる役割の労働組合も、賃金上げろといいつつ、会社に極端に不利な条件は言わないですし……だからベアが何円とかで勝った負けたみたいなことになるんですよ。

でもね、会社の施しをねだるより、権利を勝ち取る方が、得るものが大きいとおもうんですよ。つまり賃金をもらうより、権利を貰った方がいい。会社の運営に参加出来る権利。株式会社なら株をよこせという方がいいと思うんですよ。権利を持っていたら、会社のやり方に総会で文句言えるんですよ。しかも配当をよこせと堂々と言えるんです。平社員でも役員に質問できるんです。

ホントに「お金をよこせ、それよりも権利をよこせ」って、みんな言うべきなんですよ

一発勝負に勝つ才能を求められてもね……

2019年1月21日

センター試験も終わりましたが、当日の朝、大きな大学がある路線にのっていたら、それはもう大勢の学生が……頑張って欲しいです。

ボクが学生だった頃からセンター試験の時期は、とくに寒さが厳しいと言っていましたが、相変わらずこの時期に、どこかの遠くの場所で一回限りの試験をしているわけです。インターネットがあるご時世にですよ……

なんで日本では学生に一発勝負を挑ませるかという問題なんですよ。

一発勝負は、そこにピークを持っていける計画性のある人間が選抜できる反面、まぐれ当たりの一発屋を紛れることを防げません。運も実力のうちといいますが、学校の勉強ってそういうことではないでしょう。

問題は多いけど、いまだに世界をリードしているアメリカでは、センター試験っぽい共通試験(SAT)は、年に7回実施されて、何回でも受験できます。そのうちの1番いい成績をもって各大学を受験します。お金はかかりますが、学力で選抜するにはベターな方法だと思います。日本方式では、学力があるのに、当日の体調が悪い人も切ってしまいます。しかも4月入学だから再受験は1年後ですよ。

昨年は医学部で不正な受験方式が問題になりましたが、優秀な医者を育てるということは二の次だから、あんなことが起こるわけです。私学だったら寄付枠を作って、親がたくさん寄付してくれた人は、出来が悪くても学位をあげたらいいんですよ。明確な基準をつくって区別すればいいのに、建前の方が強いからなんでしょうね。

結局、大学は優秀な人材を育成するという目的を見失っているわけです。もちろん大学は研究機関という面もありますから、人材育成なんかしないで研究ばかりしたいという大学があっても言い訳ですが、それなら研究所でいいわけです。大学である限りは、学びたい人には、対価をいただいて学んでもらい、自分達の設定するレベルまで知識があると判断したら学位をあげればいいわけです。

日本の大学生って、入学するときは優秀らしいんですよね。大学で勉強しないとも言われ続けています。もしそれが本当なら、結局大学卒業しても、高校卒業レベルのことしかできないわけですから、入学して一定期間たったら学位をあげればいいわけです。寄付枠で入学させたら、寄付額が増えれば学位あげればいいんです。問題ないでしょう。

今まではカイシャが再教育していましたが、それも会社に体力があったから出来たわけで、いまでは即戦力をスカウトして食いつないでいるわけです。人を雇おうにも、判断材料のひとつである「大卒」というシグナルは役に立っていません。むしろ「〇〇大学入学」というシグナルの方を、判断材料にしている気がします。

なんで一発勝負を学生に求めるのか。それは、企業が求めるているのが、「優秀な人材」ではなく、「18歳の時に知識のピークがある、ひょっとしたら一発屋かもしれない人」なんだから、しょうがないですよね。

日本語は強力だから、日本で暮らしていけるなら一番便利なんですよ。でももう少ししたら、出来る人はみんな海外に知識と仕事を求めて出て行って、いっぱい稼いだ後に日本に戻ってくるもよし、その国に骨を埋めるのもよしといった国になっていくんですよ……たぶんね……

少しだけ古いものを使えないか……

2019年1月18日

前回のエントリーで古いものに手を入れる生活もいいよねって書いたんですけど、なんでそうならないのかという話です。

旅行に行くと、なるべくその街の人がウロウロしている場所を歩くようにしています。行きと帰りの手段だけ決めて、適当にウロウロするのが好きです。そうしているとほんのすこし事前に入れた情報と違った面を観ることができるような気がしています。観光客向けではない店や通りをウロウロしていると、大概の街は雑なんですよね。とくに外国はそう思います。道はガタガタだし、いろんなものは壊れているし、ヤバそうな人たちがウロウロしているし、野良犬は走っているし……建物でいうと、壁はボロボロ、金具は錆びて、壊れて、でも使えるからOKみたいな感じが多いです。

日本でイマイチDIYが流行らないのも、職人さんが安い値段でキッチリと仕上げてくれている部分が大きいと思いますが、でもそのキッチリとした感覚を当然だと思ってしまうと、適当なものを許せなくなってしまうのではないかと考えてしまいます。

古いものを再利用する時、寸法が少し合わなかったり、少しガタついたり、汚れていたり、そういうものを自分で少しづつ直しながら使っていくという感覚を持つ人が増えてくれば、中古マーケットが活気付くとは思うのですが、みんな新品が好きですよね。例えば、中古の携帯電話とか、海外では割とマーケットとして成立していると聞いていますが、日本では携帯電話各社がいろんな手段を使って新製品を安く提供してくれているから、中古に手を出す必要がないのでしょう。

日本人が捨てるのに躊躇がない原因は、性能が良い新製品が常に供給されているという社会の仕組みのおかげでもあるし、悪いことではないのですが、古いもの、それもほんの少し前のいいものが手に入れられないというのは、損だと思うんですよね……

古いものがそんなに好きなではないのだと思う

2019年1月15日

前のエントリーでスクラップ&ビルドの話をしていました。それでいつも思うのですが、日本人は新しい物好きで、古いものに固執はしないですよねっていうのが今回の話。

去年の年末に、町家のイベントに参加させていただく機会がありました。参加している皆さん熱心でした。特に、講演を行った先生が、町家保存のためには、まず第一に「哲学」が必要と話されていました。本当にそう思います。昔の家なんて、寒いは隙間だらけだわ、段差があるわで、今の人には快適とは言い難いのが実情でして、そういう問題を超えても住むには、住む方にもエネルギーがいるわけです。

じゃあ、そんなにこだわりなく家が欲しい人はどんな家を手に入れているんだろうと思うと、結構普通の建売住宅とか注文住宅とかマンションとかを買っておられます。住みやすいかは別にして現代の生活には合っているでしょう。町家だって、伝統的な木造住宅だって、それなりに住めるんですけどねぇ……

こういう仕事をしていると思うのですが、日本人は新しいもの好きなんですよ。民族的な特質といっても良いぐらいに。だから古いものはけっこう容赦なく捨てるんです。家だって文化だって。同じように長い歴史を持つイングランドでは家は古いほうが値段は上がるし、幽霊が出るようならさらに値はあがるとも聞きます。

この国は明治になった時に、西洋化して、いろんなモノをバッサリ捨てた経緯があるのですが、それでもなんとかなったのは、江戸時代に教養を育てた人達がいたからだと思うのです。バッサリ棄てても、まだバックアップがあった感じでしょうか。でもいまの社会状況を鑑みると、棄てたら戻ってこない可能性の方が大きいと思います。ジャンジャン捨てて新しいモノに飛びついたけど、再び取り戻そうとしても何も残っていないという状態になるのではないかと思っています。

で、最初の哲学の話に戻りますが、暑い、寒い、不便を乗り越えるためには「でもこれでいい」という信念みたいなものが必要なんでしょう。一生その信念を持ち続けるのはシンドイので、人生のうちのある期間だけでも持つ人が増えてくると、中古の町屋にも借り手がつくってものです。

古いものに手を加えて延命しながらじっくりと暮らすことは、イングランドでは憧れの生活ですが、ここ日本では道楽になってきています。道楽っていうのは金持ちがすることですよ。日本全体が貧しくなっているいま、そんな余裕はないんでしょうが、経済がへたってきているので、中古市場がもう少し流動化してくれれば、そういう人も増えてくるのではないかと期待はしているのですけれどね……

エラーを犯すのは、プログラムではなく人間であったりするわけで……

2019年1月12日

僕は仕事でもプライベートでもバイクに乗って移動することがあるのですが、先日、バイクで走っていたところ、御老人が運転する車が脇道から飛び出してきて、ヒヤリとしました。

バイクに乗っていると、車の何気ない挙動にヒヤリとすることが、車に乗っている時よりも明らかに多く感じます。運転すると人が変わる人がいますが、人が変わるのではなく、それがその人の本性です。昨今、あおり運転が問題になっていますが、煽っている方は、大概相手が悪いことをしたから、相手が気に入らないから、横入りされたから、SAでの態度が悪かったから、といった馬鹿馬鹿しい理由で他人の命を危険に晒します。

僕としては早く自動運転が実用化されて、そういった人からハンドルを握る機会を奪って欲しいわけですが、実用化の道のりは遠いようで……

プログラムの世界では、ミスをするのは人間側です。プログラムは人間が命令したい通りに動きます。プログラムがおかしな動きをすれば、それは人間がおかしな命令をしているからです。

ですから、自動運転技術のネックも人間です。道の上に自動運転車しかいなかったら、問題(事故)はもっと少なくなりますが、そこに人間という挙動が定まらないものが存在すると、途端に問題が複雑化します。都会のように、車の走行をバックアップできる装置が都市の中に設置できるなら、ある程度の情報の処理を外部化できるでしょうけれど、今だに混雑に合わせて信号の切り替えすらできない社会状況では、道のりは果てしなく遠いわけです。

結局、パソコンのように、バグと付き合いながら、終わりのない改良をし続けるしかないわけですけれど、そこまで行くためには、全く新しい都市を作った方が早いかもしれません……この国はスクラップ&ビルドが好きですけれど、国自体がジリ貧になる中、昔のような未来都市の夢をかけないですよね……