歴史を知る意味とか

2022年4月19日

近現代の歴史を知っている人と、知らない人では、今回のウクライナ侵攻に対する印象は全く違うのではないかと思っている。ソビエト・ロシアが周辺諸国に対して行ってきたことを少しでも知っていると、ウクライナの人に降伏を勧めることなんてできないわけだけど、元大阪府の知事さんなんかがTwitterなんかであれやこれや言っているのを見ると、すごく悲しくなるわけで……

GHQによる日本の統治は比較的穏やかだった、こう書くと沖縄とか、いろんな地域の人から怒られそうだけれども、でもやはりどう考えても、GHQによる統治は、穏やかだったと思う。でもアレを基準にしてはダメなんだよって話。少なくともGHQに計画的に餓死させられたなんてことはないはずだし、日本の地域同士で憎み合うように仕向けられたなんてことはないと思うから。

で、その穏やかな統治を、そして僕のようにそれを体感していない人が、それを基準に他国による統治とはどんなものか想像せずに、現在戦争が起こっている人たちに降伏を勧めるなんていうことは、間違っているとしか言いようがない。

あとロシア人が、欧米の民主国家の人たちのように、自由で開かれた教育をされていると考えることも間違っている。教育というのは国家が行うものなのだから、国家の都合の良いことしか教えないからね。お隣の国を見てたらわかることなのに、ロシア人はそうじゃないとなぜか考えてしまうのは謎でしかない。たまたま僕たちは日本という自由で開かれた社会に育っただけで、世界中の人が自由とか平等とかに、価値を置いているなんていうのは妄想でしかない。

子供用の伝記物とかにすらなっているガンジーとかキング牧師の話がなぜ感動するかというと、抑圧を跳ね返すことに一応成功したからなんだよね。そしてわかりやすいストーリーをつけて、教育のために物語化されるんだけれど、抑圧が跳ね返せなかった悲惨な例というのは、そういったわかりやすい本や映画にはなりにくい。だから勉強する必要があるわけですよ。

ロシアがここ20年ぐらいでやらかしてきたことを学んでいると、今回の戦争の悲惨な状況は、「やはりそうなるよね」という感想にしかならないわけで、だからといって、それを許容するわけでもなく、やはりダメなものはダメと言い続けて、今頑張っている人々には支援をするべきなんだと思うわけです。

個人的には、ボルシチとかワインとか、ソバの実とかが手に入るようになってくれれば、食べて応援もしやすいよねと思っているわけです。

文系の学問の存在理由を考えてみた

2022年4月12日

もう1週間経つから、日経に某まんがが広告されたことについて、少し問題になったところから、話を始めて、最終的にはタイトルのところまで持って行けたらなと思ってエントリーを書く。

ヒトは不愉快な表現に出会った時に、不愉快だって声を上げるのは、個人の感情だから問題はない。なぜなら私はその表現を不愉快だと思うから、不愉快だと表明するというのは、筋が通っているし、そこに何か別のものが挟まれる余地もないからだ。翻って「なぜこの表現が自分にとって不愉快なのか?社会にとってはどういう意味を持つのか?」ということを考えるのは、とてもエネルギーが必要で、難しい。

それが一般的に許容される表現であればあるほど、自分がなぜ不愉快なのかを考えることが難しくなる。そしていろんな理由を考えても、論理が通らないこともあって、なぜ不愉快なのかはわからないけれども、不愉快と感じるという状態が続く。そうなってくると、自分が不愉快と思っているのに、なぜ世間の人はこれを許容しているのかということにもなってくる。

人間はたくさんいるから、自分と同じような感覚でいる人はいる。それが単一の問題であれば、ネット社会では探すことも容易い。それで仲間が見つかって、話をして、なんとなく共感できて、そこで納得すればいいわけだけれど、強いコミュニティというのは、大体クローズになって、外敵を作り出してさらに結束を作りがちだと思う。歴史的にみても、学生運動とかが自壊していく様相はこれに当てはなるのではないだろうか。

で、クローズしないで、なおかつ問題を掘り下げるという作業ができればいいのだけれど、そういうことをすべきなのが人文系の専門家だと思う。というか、そういうことをするために、人文系の価値があるんだと思うわけです。この問題でいうと、自分が不愉快に感じることが社会的に意味ある事なのか、それを論理立てて説明するのには、専門家の技術が必要だと思うって話。

話を変えて、「科学的」というのは2種類あって、繰り返し起こる現象を探求する科学の他に、1回しか起こらないことを探求する科学もあるんだと思う。ボクたちは前者こそ科学だと思っているけど、歴史とか哲学は後者で、コレもまた科学なんだと思う。例えば歴史は1回しか起こらない事象を研究する学問の代表例だと思う。そしてこれは両者をスパッと切り離せなくて、両方の立場を確認しながら学問は進んでいくんだと思っている。歴史学の中での、炭素同位体を用いた年代測定なんて、その代表例だと思う。深めるためには両者の科学がどうしても必要となってくるのは、専門家であればあるほど理解しているはず。

今回の広告問題のように、表現の問題を、個人的な快不快、良い悪いの範囲で話している間は、議論が噛み合わなくて当然で、なぜなら感情をぶつけてるだけだけだから、話の進みようがないと思うわけ。だから、早く人文知の重要性に気づいて、論理的に話を深めて欲しいなぁと思っているわけです。

ちなみに日経は「失楽園」とか「愛の流刑地」とか連載していた新聞だから、購読者層を増やすことを、一貫して真面目に考えている新聞だと思うんだけどね。

「タンメン」を探して

2022年4月5日

僕は一応建築屋さんなので、仕事が決まると一定期間、月一回、工事が始まると週一回とかいうペースで、とある場所に通い詰める事になるわけで。長丁場の仕事なので、その街の有名なお店を探しておいて、タイミングが合えば訪れたりするのが楽しみだったりもします。

一度、有名和菓子屋の近くで仕事をしていた時に、小遣いのほとんどが和菓子に消えるということになり、生活レベルが下がる一方で、舌のレベルだけが上がっていくということになったりもしました。店の人にしてみたら、小汚い作業着のおっさんが頻繁に店に来るのは迷惑だっただろうな……って、すいませんでした。

で、最近京都の北の方に行くことになったのですが、ラーメン激戦区なんですよね……僕の健康状態が悪化するか、有名店全部制覇するかの戦いですよ。長い戦いになりそうなので、計画的に行けるように、今はスマホのマップに有名店をとりあえずプロットしていってる状態です。

それはそうと、関東では普通にあるのに関西では巡り会わないのが「タンメン」だと思っている。探せば関西でも提供してくれている店は数軒あるのだけれど、なかなか見つからない。関西で「タンメンが好きです」というと、「坦々麺?」と聞き返されるのがほとんどだ。n=1のサンプル数だけどね。関西では「五目そば」というのに近いのではないだろうか。ともかく見つけるととりあえず頼んでしまうメニューの一つだ。

メニューの地域差は、ネットの中でもよくある話題なので、ウンチクおじさんとしてはネタの宝庫なのだけれど、僕としては関西にもタンメンを出す店が増えくれると嬉しいなという程度の話である。

京都でいえば、もうなくなってしまったが、三条通りのタチ吉から上がったところに「大三元」という中華料理屋があって、あの雰囲気と味がすごく好きだった。自分が好きだった店がなくなっていくのは寂しいものですよ。

でもコッテリ味が食べられなくなったのは歳のせいなんだろうね……

「適度な長さ」ってあるんじゃないかなって話

2022年3月29日

始まって1ヶ月経ちますが、どうもこの戦争は、仕掛けた側の思惑と外れて、どうも長引きそうだなぁ……という感じになってきました。あの国の指導者は二日間ぐらいでキエフまで行く予定だったようですけどね。グッと矮小化して考えると、二日で終わる予定だったプロジェクトが、1ヶ月経っても終わってないということになれば、普通の仕事では無能のなプロジェクトマネージャーと非難轟轟だろうなぁ……

戦争をしていても、というか戦争中だからこそ娯楽は重要なので、かどうかは知らないけれど、昨日は朝からずっと「Drive My Car」がアカデミー賞をとるかどうかということで持ちきりでした。結果はというと「CODA あいのうた」に決まったようで、素晴らしい映画だったのでこれを機に映画館に足を向ける人が増えると、映画ファンとしては嬉しい限り。

ただ気になることを言えば。タイトルの「あいのうた」ってなんでつけたの?。CODAだけではわかりにくいということなのかもしれないけれど、「あいのうた」って……映画の邦題については、それ一本でネタになるぐらい色々とあるのだけれど、どうせつけるなら「史上最悪のレース ウハウハザブーン」ぐらいはっちゃけてもらえば、後世に残るのにねって思ったりする。

「Drive My Car」について話を戻そう。というか、残念なことに僕はこの映画をまだ観れていない。多分ロングランになりそうだから後回しにしていたからだ。国際長編映画賞を獲ったし、上映期間は伸びるだろうから、それまでに見ればいいやと思っている。

僕がこの映画というか、この周辺で気になるのは、村上春樹が映画化にOKを出したことの方だ。村上春樹は今はどうか知らないけれど、数本の例外をのぞいて昔は頑なに自分の長編小説を映画にするのを断っていたと聞いている。長編小説の映画は、今でもトライ・アン・ユン監督の「ノルウェイの森」ぐらいしかないはずだ。調べるのが面倒なので曖昧だが、多分今でもそうだと思う。今回も短編小説なのでGOが出たのかとも思うが、結果的によかったのではないだろうか。これを機に、村上春樹の短編小説の映画化が増えれば……と思ったが、今の邦画の衰退をみていると、なかなか難しい感じがしてならない。

個人的な感想だが、村上春樹は、映画というメディアには長編小説は向いていないと思っている気がするんだけれど、僕もそう思う。最近の映画は長くなっているけれど、それでも120分程度でまとまりのあるストーリとなると、長編小説ではいろんなものを削ぎ落とさないと無理で、多分原案程度にしかならない気がする。小説で言うと短編小説ぐらい、ライトノベルでいうと文庫一冊分。漫画原作でいうと単行本5〜6巻程度が、無理のない映画原作の量なのではないだろうか。まぁ根拠を問われれば、例外が多すぎて謝るしかないのだけれど、でも当たらずも遠からずじゃないかな。

ともかく120分という映画には適度な長さのストーリーがあるように、時間的な長さにも適量というのが存在しているわけで、それを外すと失敗する確率はドーンと上がってくるわけです。映画以外の話に結びつけると、ロジスティックスの概念がなければ、大体のプロジェクトは失敗するってだけの話なんですけどね。で、冒頭の戦争の話につながるわけで……

僕の手元には「パン屋襲撃」と「100%の女の子」のDVDがある。15分程度の短い映画なんだけれど、これはこれで面白かったりする。これを機に再販とかされるといいのにねぇ……

現実は、思った通りにならないことの方が多い

2022年3月22日

今年のアカデミー賞は、このエントリーを書いている時点では決まっていないが、今年のノミネートをみて、SPIDER-MAN(NWH)がないのが悲しくも興味深い。

基本的にアカデミー会員が高齢化してきて、市場で売れている映画との乖離が問題視されてきたと聞いている。決定打になったのは The Dark Knight と言われていて、あれほど売れた、人気もある、そして内容的にも深い映画が、ただアメコミのアクション大作という理由でノミネートすらされないのはおかしいということになったようだ。

で、アカデミー会員の大幅増員や、年齢、性別の偏りの修正していっているんだけれど、なぜか本来賞レースにエントリーさせたかったアクション大作がノミネートされないという本末転倒に陥っているのが面白いわけです。まぁ意図しない結果になることはよくあることなので、徐々に修正されていくのだろう。

The Dark Knight はなにが素晴らしいかというと、端的に言うとJOKERの存在感が素晴らしいということに尽きる。でもこの映画のすばらしさはネットを検索すれば転がっているので書かない。とくに町山智浩さんが失楽園(ナベジュンではなくミルトンの方)とか、先ほど亡くなった石原慎太郎の「完全な遊戯」とかを比較して批評しているので、気になる人は参考にしたらいいと思う。YOUTUBEにいけばWOWWOW Official で「町山智浩の映画塾」あたりで検索すればいい)

JOKERが求める「自由」は、周囲に多大な迷惑をかけるわけだけど、それもまた自由の範囲なわけで、こういう答えのでない哲学的というか、衒学的な問いは、男の子は好きだよね(笑)

話をもどして、おかしな現実があって、それを修正するためにいろいろ手を尽くしたら、本質的に求めていたことと違ったことになった、ということは枚挙にいとまがない。計画通りとはいかないのが凡人のつらいところだ。まあ凡人だから映画とかみて笑っているれるので、凡人のボンはボンクラのボンぐらいの気持ちで、手に負えなくなった事態を眺めているぐらいなのが、健康に良いのかもしれない。

目薬が使いきれないという問題

2022年3月15日

ここ2年間ぐらい、外を歩いているときはマスクをしているので、というか、そもそも出歩かないようにしてるから気がつかなかったんだけど、もう世間では花粉飛んでるらしいんですよ。

最近マスクの下で鼻がグズグズするので、風邪かなぁ……また熱でると嫌だなぁ……なんて思いながら過ごしていたんですよね。で、ラジオで天気予報聞いているときにもう花粉飛んでいるんだ……なんてハッとしたわけです。僕はスギ花粉ではなくて、ヒノキ花粉の方からアレルギーが出たので、本番は5月くらいから。最盛期には眼球を取り外して洗いたいほどの衝動に駆られるのだけれど、今年は長い戦いになりそうだなぁ……

でもここ2年は花粉症対策の話、あまり聞かないですよね。インフルエンザと同じで、マスクする人が多いから、大きな話題にならないのかなって勝手に思っています。

マスクをすることが日常になってしまった結果、iPhoneの顔認証も、次のOSのアップデートでマスクをしていてもロックの解除ができるようです……目の周りを詳細にスキャンするようで、セキュリティ的にはワンランク落ちるようですけどね。

人間には「3つの点が集まった図形を人の顔のように見るようにプログラムされている」、いわゆるシミュラクラ現象っていう脳の働きがあるそうです。コンセントが人の顔のように見えたりするアレです。つまり顔と認識するのには3つの点があればいい(厳密にはもっと違う要素が多くあるのだけれど、ここは単純化して……)わけですけど、iPhoneのカメラが高精細になっった結果、2点で認証できるようになったということかしら。

コロナ前はコンビニなんかでもフルフェイスのヘルメットは脱いで入店してくれという注意書きがあったけど、今はマスクはしてください。その上で花粉症の人はサングラスしていてもOKとなったら、もう顔認証なんて出来ないわけですが、あまり気にしてませんよね。一時的なものだと思っているから、その場凌ぎで運用しているのだろうけれど、技術が進めば、顔なんかなくても個人が特定できる技術が民生化してくるのかもしれませんね。

この話は結構長くなりそうだから放り投げておくとして、花粉の話に戻すと、みんなコロナの話ばかりしているけど、普通に生活していると風邪もひくし、花粉症にもなるわけです。毎年、花粉症対策として、シーズンの半年前から治療に通うとか、薬飲むとか、鼻の中の粘膜を焼くとかそんな話を聞くわけですけど、そういうことはたいてい苦しみ出した頃に思い出したりするわけで……それで目薬買ってきて、こまめにさすという対策をとるわけだけれど、これがなかなか減らないんですよ。目薬にも使用期限があるので、切れたら捨てるわけですけど、なんかもったいないなぁと毎回思うのです。

食品の賞味期限とか、開封後は速やかに消費してください的なことが表示されているけど、目薬とかも開封後は速やかに……て、書いてあったら嫌だなぁなんて思いながら、これから数ヶ月、まだ消費期限が残っている目薬を挿して、そしてなんとなく気分も沈んでいくわけです……じゃあいっぱい挿せばいいじゃないなんて思うわけじゃないんだけれど、昔、目医者さんに、目薬を日常的に差し続けると、涙を出す能力が下がるから、必要最低限がいいよと言われた記憶があって、ガバガバ挿す気にもならないのですよ。

目薬とはいえ薬なんだから、あまらして捨てるぐらいが健康にはいいのかしらね……などと自分を納得させているわけですけど……

「悪」としてのアイコン化

2022年3月8日

映画の悪役には、結構ナチスが使われることが多い。僕が思い出すだけでも、インディ・ジョーンズシリーズとか、イングロリアス・バスターズ、シンドラーのリスト、帰ってきたヒトラーetc…数え始めるとキリがないぐらいだ。

悪役としても、まわりから文句を言われることがないのと、存在した悪として、非常にわかりやすいからだろう。で、今日の結論は、ひょっとしたらプーチンのロシアは今後、ナチスと並ぶ悪役になるのかもしれないなぁということ。

なんでこんなことを思っていたかというと。多分、今回の戦争が予想されていたような近代的で、クリーンな戦争ではなかったからかもしれない。というか、ものすごく古臭い戦争のように感じているからだと思う。

流れてくる映像を見る限り、この戦争の古臭さは、ある意味で予想を超えていた。ドローン兵器とか、無人爆撃機とか、そういうのを中東の紛争で観ていたから、大国の戦争は、極めて近代的でクリーンな戦争だと予想していたけれど全く違った。相変わらず戦車に乗って国境を超えてきて、人間が対戦車ミサイルとかを打って、民衆がモロトフカクテルをせっせと作っているのだから、前世紀の戦争にしか思えない。戦車の性能が上がって、対戦車ライフルや、対戦車砲がミサイルに変わっただけだ。

国家元首が、メディアを通じて歪な歴史や国家観を宣伝するのも、WW2とよく似ている。「アーリア人は優れている」と言っていたのが、「ウクライナはソビエトが作った国」に変わっただけだ。どちらも根拠がなく、自国民の歪んだ愛国心を満たすだけの意見でしかない。そもそも1932年からソビエトがウクライナに対して行った、計画的な大飢饉、ジェノサイドがどれほど苛烈だったかを知っていたら、そんなことは口に出せないはずだ。どのくらいウクライナ人がソビエトのことをよく思っていないかは、その後にウクライナにやってきたヒトラーのドイツ軍を解放軍として歓迎したということからもわかる。(その後ドイツにも酷い目に遭わされるのはご存知の通り。)

ソ連の崩壊、マイダン革命、クリミア併合などという背景を知れば、ウクライナの人が必死で抵抗している理由がわかる。彼らはウクライナという民族とか文化が消滅させないように、必死に抵抗しているのだ。民族自決の原則とか、歴史の授業で習う理念だけれど、残念なことに人類はまだ獲得できないでいるらしい。

北米大陸には、19世紀後半からウクライナ移民を受け入れており、100万人近くのウクライナ系の人たちがいるとされる。映画産業の中にもたくさんいる。そういう人たちは、この先ロシア人を悪く言わなくても、ロシアのことは、そういう国だと認識して、そういう映画を作るだろう。こういうのは止めようがない。ナチスを描こうとすれば、基本的に歴史物にならざるを得ないけれど、ロシアであれば時代設定はもう少し自由度が増える。しかもやっていることは19世紀並みに古臭いから、ひょっとしたら悪役はロシア人と設定するだけで、深い説明も必要なくなるかもしれない。

ナチスと違うのは、すでに解体されている上でボロクソに描写されるのに対して、ロシアは、国家が残っているのにボロクソに描写されるんだろうなってことかな。まぁ日本も大陸の方では日本鬼子として描かれているから、個人が気にしてもどうしようもないんだけれどね


戦争が始まったけど……

2022年3月1日

予約していたエントリーあったけど、戦争が始まったから急遽別の話……

なんだか戦争が始まってからtwitter でもウクライナとかロシアとかの話題が流れてくるようになって、どうしても気になっちゃうんだけれどね。ここで戦争について書く気はない。そういうのはプロに任せておけばいい。日頃からロシアや東欧についてリサーチしている人達がいるのに、たかだか数時間ほど調べ物をしただけの素人が、意味あることを言えるわけなんてないのですよ。

なぜかこの国、っていうと主語が大きいかもしれないけど、僕が観測できる範囲のTVやSNSでは素人がプロに上から目線で意見することが当たり前になっている気がする。プロが話す内容が分からないからといって、自分の知識の無さを恥じず、あいつはモノがわかっていないということを平気で口にしたりね……

専門家としての良し悪しはあるけれど、その知識や語る内容が、決して素人やタレントと同じではないことぐらいわかると思うんだけれどね。それで喰ってるから専門家な訳で、そこはキチンと線を引かないと……もちろんおかしなことを言っていたら同業者から批判されるだろうけど、それが一般人の目につくところで行われるわけではないことも、また事実だったりするわけです。

ボクが学生の頃、ネットのハードルが劇的に下がって、その頃の雰囲気は、インターネットは「誰が話すか」ではなく「何を話すか」ということが重要視される、素晴らしいコミュニケーションツールだった。もちろん現実は違っていたけれど、そういう建前を持っている人が多かった気がする。あの頃から随分時間が経ったけれど、人類はまだネットを使いこなすことができないみたいだ。

話を戻そう。いい専門家は断言することは結構躊躇する。少なくとも専門分野であればあるほど、そういう傾向が強くなると思う。なぜなら自分の知識が不完全なことを知っているから。考えられるだけの想定をしても、予想外のことが起こることを知っているからね。個人が知っていることなんて、世界の中のほんの僅かな範囲でしかない。予測が確定しているなら、それは予測ではなく未来予知だ。そしてそんなものを持っている人間は、詐欺師以外にはいない。

アメリカは、昨年の年末あたりから、ウクライナ周辺でのロシアの活動に警戒していたし、欧州もずっと警戒していた。でも想定と確定は違う。世界が最悪な事態にならないように手を打っているけれど、それが全てのプレイヤーで一致しているわけはないから、常に事態は不確定だ。

140文字で断定するには世界は複雑すぎるのだけれど、140文字でも言い切ると、なんか言った気になってしまうみたいだ。だから僕は安易な断定だけはしないように気をつけていたいと思っているけど、それもまた必ず守れるわけでもない。

ボクにできる細やかなことは、ボルシチはウクライナの伝統的な料理で、非常に美味しそうなので、どこかで本格的なウクライナ料理が食べられないかを調べるぐらいでしかない……

2022年2月22日2時22分

2022年2月22日

なんか「2」が続くっていうことで……

猫の鳴き声をニャンとかニャーとか日本人は認識しているから「2」と猫が関連づけられるわけだけれど、もちろんこれは日本だけだ。ヨーロッパの多くの国は2月17日が「World Cat Day」と制定されていて、アメリカでは10月29日らしい。そのほか8月8日も国際動物福祉基金なる団体が「International Cat Day」なるものを決めているらしい。猫は世界中で愛されているねぇ……

インターネットでは日々、猫動画が投稿され消費されているわけだけれど、とある写真家の方が、雑誌で「猫はネットに最適化した生き物」だという話題を書いていたのを読んだことがある。猫ほど身近にいて、人間の思い通りにならず、そして撮影しにくい存在もいない。警戒心が強く、気まぐれで、カメラを起動している間にどこかへ消えてしまう。それだからこそ、世界中の人がスマホを片手に持っているという状況がなければ、こんなにネットに猫動画が氾濫することもなかっただろうという話だけれど、十分に説得力のある論だと思う。

古来、猫はかぶるものだし、化けるものだし、歳をとるとしっぽが別れたりするらしい(なぜだか知らないけれど)。イギリスあたりネコは、命を9つは持っているらしいけれど、好奇心が強くて死んでしまうこともあると聞く。古代エジプトでは神様っぽく扱われた時代もあったが、ルネサンス期には魔女の使い魔として焼かれたりしていたこともわかっている。

猫は世界中で愛されているが、人間の都合で恐れられたり殺されたりしてきた存在でもある。それが今ではネットの中で、その存在を明確に確立しているわけだから、まぁ猫が人間との戦いに勝利したのだろうなぁと感じる。少なくとも、普通の日本人の日常を撮影してもネットでバズりはしないが、ネコの日常なら世界中で興味を持ってくれる人はごまんといることだけは確かだ。

猫はこれからも、その猫が亡くなったとしても、ネットの中で永遠に消費され続けられ、そして猫動画はますます増加し、トラフィックの何割かを猫が占めた時、猫はネットの中では神のような存在になるのだろう。なぜなら神とは「そこにはいない、けれどどこにでもいる」存在だから。

写真はネットで溢れているやつを借りた。世界はもうネコだらけのように見える。僕がこんなエントリーを書くレベルには……


おちおち熱も出せない

2022年2月16日

少し前、風邪引いたんです。熱測ると37.0℃の熱があった。どうしてもこの仕事をしていると、打ち合わせは年配の方と同席することが多いし、喋ることが仕事だから、安全をみてお休みをいただいたんですね。

栄養とって、薬を飲んで、半日寝たら平熱に下がったから風邪だよねってことで、翌日から通常営業に戻ったわけだけど「コロナの検査はした?」って意見がくるわけです。世間は検査キット不足で困っているのに?疲れて熱出したぐらいで検査に行くわけないよね。そもそも検査場って、絶対そこら辺よりも感染していると疑わしい人の割合が多いと思うんだけど、そこに行けっていうのかい……

なんか馬鹿馬鹿しくなって、そこらの薬局で売ってる抗原検査キット(これしかなかった)で確認したけど、当然陰性。そうでしょうね……(検査の結果が出るまでの日数とか、検査キットの判定の誤差については面倒だからここでは言わない)

というか、人手不足で働き詰めのご時世に、体調崩す人なんてごまんといるでしょ。そんな人間に逐一検査求めていたら、そりゃ検査キットも不足するよ。ちゃんと行政は「体温が37.5℃以上で風邪の症状があるひと」って限定してるよね。それなりに意味はあるんだよ……っていっても、こういうことを陰に陽に要求してくる人たちには通用しないので、粛々としたがっているわけだけど、まぁ違う意味で疲弊するよね……自分としては他人に過度な要求はしないでおこうと思う次第で……

それに、これもたまに聞くんだけど、周りに感染者が出て、割りを食う人がいるのは仕方ないけど、その不満を感染者、濃厚接触者の人に文句いうのはやめておいたほうがいいなぁとも思う。自分が感染者になったときに、進んで針の筵の上でジャンピング土下座する覚悟があるならいいけどね……

僕の周りでも感染した人がチラホラしてきたけど、今日現在で大阪の感染を確認した人数は1.2万人。大阪府の人口(884万人)から見れば0.15%程度の人が感染しているということなんだけど、これは1.5人/1000人ってことだからね。接触するかどうかなんて、もはや運だけなんですよ。だからより安全な方向に生活習慣を変えているのに、最近店入っても消毒しない人増えたなぁ……なんて思っていたするわけです。おちおち買い物もできない。

まぁ他人をコントロールするのは無理なので、自分だけは安全圏にいたいなぁ……と思いながら日々過ごしています。