「復興」ってなんだろう……

復興住宅関係の仕事に関わることになったので、現時点で、僕が思っていることや疑問を書き出しておこうと思う。まぁ最終的には、こういった疑問に対しての僕なりの答えが出たらいいなぁぐらいの感じです。

疑問.1)復興ってなんだろう?

読んで字のごとし、「復(マタ)興す」ってことなんだと考えてみた。

まず「興す」の意味は「衰えていたものを、再び勢いづかせる」ってこと。「復」の字は「元の状態に戻す」という意味。だから「復興」ということは「興した状態に戻す」という感じなのかな。ここで疑問が……

現在の「マズい状態」になる前って、本当に「良い状態」だったのか?ってこと。

例えば東北だけど、地方全体として人口がずっと減少していた地域ですよね。じゃあ復興しますって、どの状態まで戻すつもりなんだろう……地震前の状態に戻しても、結局人口は流出していた状態だったんだから、ほんとうにそれで復興っていえるのかな?短期的に人口が戻ったとしても、一息つけば再び人口が減少していくんじゃないの?

疑問.2)コミュニティには賞味期限があるんじゃないだろうか?

たしかジャーナリストの津田大介が、コミュニティをつくる時の目安が約3年みたいなことを書いていた記憶がある。3年という期間の妥当性はともかく、「面白いこと考える人達」が始めたことは、時間が経つにつれて「たいして面白くない人達」のイベントになっていくような気がする。そしてその頃にはもともとの「面白いことを考える人達」は、さらに新しくて面白いことを始めている気がする。つまりあるコミュニティが面白い期間には限界があるのではないだろうか。まぁ実例というかすぐに思いつくのはmixiだったり……結局、面白い人のいる所に人は流れていくし、面白い人は次々と面白いフィールドを開拓していくイメージがあって、あまり一カ所には留まっていないように感じる。

疑問.3)「外部発生によるイベント駆動型まちおこし」と「自律発生によるイベント駆動型のまちおこし」はどちらが息が長いんだろう?

ある地域の当たり前が、他所から来た人にとったら非常に面白いということは確かにあると思う。Youtube等で日本に滞在する外国人が日本を紹介する映像に寄せられるコメントを読むことで、外国人にとっての興味と日本人の日常とのズレに気づくことがある。例えば僕の住んでいる奈良では、鹿がそこら中にいて、煎餅をあげるとお辞儀することは日常だけれど、他所の地域の人から見たら非日常なわけで……

「地域の外の人」に来てもらいたかったら、当然「地域の外の人」が興味を持つことで勝負するのが一番な訳だから、「外部発生によるイベント駆動型」は間違ってはいないと思う。だからといって、常に「外部から見たら非日常な日常」を押し付けられる、または維持し続けなきゃいけないコミュニティというのも、あまり幸せそうとは思えない。となると、コミュニティ内部から「僕たちは腹をくくってこれをし続けるんだ!」って思えること、つまり「自律発生型のイベント」で勝負した方がいいんじゃないだろうか?でもそんな面白いことやり始めたら、外の人がほっとく理由がないんじゃないの?……という堂々巡り状態。

こういう問題は、結論は出ないものなので、まぁ頭の隅にでも置いておこうかなと思います。

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