‘まちづくり’ カテゴリーのアーカイブ

古いものがそんなに好きなではないのだと思う

2019年1月15日 火曜日

前のエントリーでスクラップ&ビルドの話をしていました。それでいつも思うのですが、日本人は新しい物好きで、古いものに固執はしないですよねっていうのが今回の話。

去年の年末に、町家のイベントに参加させていただく機会がありました。参加している皆さん熱心でした。特に、講演を行った先生が、町家保存のためには、まず第一に「哲学」が必要と話されていました。本当にそう思います。昔の家なんて、寒いは隙間だらけだわ、段差があるわで、今の人には快適とは言い難いのが実情でして、そういう問題を超えても住むには、住む方にもエネルギーがいるわけです。

じゃあ、そんなにこだわりなく家が欲しい人はどんな家を手に入れているんだろうと思うと、結構普通の建売住宅とか注文住宅とかマンションとかを買っておられます。住みやすいかは別にして現代の生活には合っているでしょう。町家だって、伝統的な木造住宅だって、それなりに住めるんですけどねぇ……

こういう仕事をしていると思うのですが、日本人は新しいもの好きなんですよ。民族的な特質といっても良いぐらいに。だから古いものはけっこう容赦なく捨てるんです。家だって文化だって。同じように長い歴史を持つイングランドでは家は古いほうが値段は上がるし、幽霊が出るようならさらに値はあがるとも聞きます。

この国は明治になった時に、西洋化して、いろんなモノをバッサリ捨てた経緯があるのですが、それでもなんとかなったのは、江戸時代に教養を育てた人達がいたからだと思うのです。バッサリ棄てても、まだバックアップがあった感じでしょうか。でもいまの社会状況を鑑みると、棄てたら戻ってこない可能性の方が大きいと思います。ジャンジャン捨てて新しいモノに飛びついたけど、再び取り戻そうとしても何も残っていないという状態になるのではないかと思っています。

で、最初の哲学の話に戻りますが、暑い、寒い、不便を乗り越えるためには「でもこれでいい」という信念みたいなものが必要なんでしょう。一生その信念を持ち続けるのはシンドイので、人生のうちのある期間だけでも持つ人が増えてくると、中古の町屋にも借り手がつくってものです。

古いものに手を加えて延命しながらじっくりと暮らすことは、イングランドでは憧れの生活ですが、ここ日本では道楽になってきています。道楽っていうのは金持ちがすることですよ。日本全体が貧しくなっているいま、そんな余裕はないんでしょうが、経済がへたってきているので、中古市場がもう少し流動化してくれれば、そういう人も増えてくるのではないかと期待はしているのですけれどね……

エラーを犯すのは、プログラムではなく人間であったりするわけで……

2019年1月12日 土曜日

僕は仕事でもプライベートでもバイクに乗って移動することがあるのですが、先日、バイクで走っていたところ、御老人が運転する車が脇道から飛び出してきて、ヒヤリとしました。

バイクに乗っていると、車の何気ない挙動にヒヤリとすることが、車に乗っている時よりも明らかに多く感じます。運転すると人が変わる人がいますが、人が変わるのではなく、それがその人の本性です。昨今、あおり運転が問題になっていますが、煽っている方は、大概相手が悪いことをしたから、相手が気に入らないから、横入りされたから、SAでの態度が悪かったから、といった馬鹿馬鹿しい理由で他人の命を危険に晒します。

僕としては早く自動運転が実用化されて、そういった人からハンドルを握る機会を奪って欲しいわけですが、実用化の道のりは遠いようで……

プログラムの世界では、ミスをするのは人間側です。プログラムは人間が命令したい通りに動きます。プログラムがおかしな動きをすれば、それは人間がおかしな命令をしているからです。

ですから、自動運転技術のネックも人間です。道の上に自動運転車しかいなかったら、問題(事故)はもっと少なくなりますが、そこに人間という挙動が定まらないものが存在すると、途端に問題が複雑化します。都会のように、車の走行をバックアップできる装置が都市の中に設置できるなら、ある程度の情報の処理を外部化できるでしょうけれど、今だに混雑に合わせて信号の切り替えすらできない社会状況では、道のりは果てしなく遠いわけです。

結局、パソコンのように、バグと付き合いながら、終わりのない改良をし続けるしかないわけですけれど、そこまで行くためには、全く新しい都市を作った方が早いかもしれません……この国はスクラップ&ビルドが好きですけれど、国自体がジリ貧になる中、昔のような未来都市の夢をかけないですよね……


試される開催地・大阪

2019年1月9日 水曜日

年初めにも書いていたのですが、2025年に大阪で万国博覧会を開催するそうです。ですが、関西圏で仕事をしていると、どうも景気の良い話を聞きません。儲かるのは一部で、一般人は儲からない話ばかりになると予想している人が多いような気がします。なぜだろうっていうのが今回のお話。

経緯としては、大阪と開催を争ったのはロシアのエカテリンブルク、アゼルバイジャンのバクーです。当初はフランスも立候補していました。ですがフランスは去年の今頃、2018年の1月に立候補を取り下げています。理由は儲からないから。「政府がこのイベントに保証を与えることによって財政を危険にさらすことはできない」として辞退してしまいました。

辞退の根拠となったのは、2015年のミラノ万博の来場者数と言われています。Expofrance 2025委員会の来場者数の予想は3500万〜4000万人でしたが、実際は2220万人(ミラノ市は2000万人と予想していたので、予測としては正しかったのですね) 。同じEU圏内で、物や人の移動が比較的容易な北イタリアで、この来場者数でしたから、フランスとしても人が思ったようには集まらないと踏んだんでしょう。それにフランスは2023年にラグビーW杯、2024年にオリンピックが控えてますから、そちらに資本を集中したいのかもしれません。

2000年以降の万博の来場者数を振り返ってみると、2000年のドイツ・ハノーヴァー万博は1800万人を集めたけれど、1200億円の赤字。2005年の愛知万博の来場者数は2204万人で黒字でした。2010年の上海万博は7000万人を超える来場者でしたが、収支は公表していません。

大阪府のWEBを観ると想定入場者数は「2800万人」と書いてあります。根拠は書いていないのでよくわかりませんが、多分えらい人たちがなんらかの計算をしているのでしょう。予算は会場整備に1500億円、運営費830億円程度を見込んでいるようですが、直近で7000億円で予算組んで、イベントが始まってもいないのに3兆円まで膨らんでいるイベントもあるそうですから、運営がまともであることを祈るしかありませんね。

その上、会場まで地下鉄を延伸するらしいのですが、これは公共交通機関ですので大阪メトロが出資するかと思いきや、IR業者に200億円ほど出してもらう計画だそうです。すごいですね。僕がIR業者なら、万博の開催日程が決まっているんだから、それを交渉の材料にしてしまうと思いますよ。「万博の時に地下鉄無いと困るんでしょ?でも200億円はムズカシイですね。作る期間を考えたらすぐにでも着工しなくちゃならないですけど、頑張ってくださいね」って

インフラ整備が必要な国なら、万博をきっかけにできるのでしょうが、もはや大阪のような大都市ではメリットが薄いというか、インフラの整備にお金がかかりすぎるんでしょうね……そもそも大阪がIRに選ばれるかもわからないのですから。

結局、愛知万博を開催して愛知県がよくなったのか?あんまり聞いたことがないんですよ。空港ができたからそれはよくなったと思いますけどね。同じことを大阪に問われるのですよ。万博開催してよかったなぁと思われなきゃやる価値がない。残念だけど、僕が物心ついたときから大阪は常に衰退してきたわけです。その速度を早めるだけなのか、少しでも延命できるのか、試されているわけです。

違うルールで勝負する

2013年1月29日 火曜日

一時期「ライフライン」という不思議な言葉がよく使われましたが、” Infrastructure “ 略してインフラのお話。

インフラとは国家や社会などの経済的存続に必要な基本施設のことを言います。ここ日本では、電気、ガス、水道のだったり、寒冷地では冬の灯油の供給は死活問題だったりしますので、そういうのも広義のインフラといっても問題ないと思います。そしていまではネットへの接続もインフラだと考えられます。

2009年、Paul. M. Romer(ポール・ローマー)というアメリカの経済学者がTEDで Charter Ctiesというアイデアについてスピーチしています。このスピーチの最初にアフリカの空港の灯りの下で勉強する学生達の写真が映し出されます。かれらは家庭用の電気がないので、夜は空港のあかりの下で勉強します。でも彼らは携帯電話は持っていてインターネットにも接続できます。携帯電話のようなここ20年で発達したテクノロジーを所持しているのに、100年以上前から存在する家庭用電気というテクノロジーが所持できないのは何故なんだろうか?という問いから始まります。

詳しくは動画を観てもらうとして、乱暴なまとめ方をすると、貧困から抜け出す為には香港やシンガポールのような周辺の都市とルールが違う特区都市(=チャーターシティ)という考え方を適用できないかという話なんですけど、なぜ5年も前の動画のことを書いているかといえば、ここ最近、インターネットがあまり繋がらない環境に一週間ほどいたからです。(接続速度はISDN以下でした。)

大都市でも建物の中やトンネル、地下鉄などで携帯電話の電波が届かないことがあるわけですが、それがずっと続く環境というのは不便なことこの上ないわけです。調べものをしようにも、今のwebページはFlashだの広告だのがたくさん埋め込まれているので、ページを開くだけでものすごい時間がかかるわけです。だからなにか調べようとしても調べられない。買い物も出来ない。その上、地理的に山の中なので物資も手に入りにくい。(その地域の人は行商で暮らしてるそうです)。住んでいる人はCATVのラインを利用した放送やインターネット網で暮らしているわけですが、通過するだけの余所者は、そのインフラにはなかなか入れないわけでして…(まぁ公衆WiFIがない訳ではないのですが、その場で契約できるわけではないですから)結局僕は一度家に戻った時に通信環境を購入して、もう一度もどることになりました。

ローマーがアフリカの某国の電力について語るところによると、既得権益者、つまりすでに電気を持っている裕福な人達や企業が助成金付きの安い電力を求めるので、結果的に電力会社は儲からない。儲からないから電力網を構築する余裕がない。だから新規参入組(つまり貧乏から脱却しようとする人達です)が電気を使おうと思ったら、開通工事代を丸まる支払わないとダメということになる。そんな高いお金は払えないので、貧しい人達はいつまでたっても電気が利用できない。だから貧しい子供たちはいつまでも空港の灯りの下で勉強することになるわけです。携帯電話は持っているのに……

じゃあなんで携帯電話は所持できるんだろうかというと、電力とは違うルールが適用されているからです。日本でも一時期、softbankが街中でADSLルーターをただ同然で配ってましたが、あのやり方の是非はともかくとして、結果として日本のネットへの接続料は劇的に安くなりました。それまでは電話会社のルールでしかインターネットに接続できなかったのが、softbankがADSLを引っさげて参入してきたことで、ルールが変わったのです。同じことをナイロビの携帯会社はやっているわけです。電力会社とは違うルールで勝負してるわけですね。

つまり何かを変えようと思ったら「違うルールで勝負する」ということが重要なわけです。

「まちおこし」とか「復興」とか、なんでそんなことをしなくちゃならないかというと、自分達のテリトリーから人が流出していくからです。つまり「まちおこし」というのは、その逆でソトから人を流入させようということですよね。「ナカのルール」がマズいから人が流出していくのに、それを変えないでソトから人がやってくるわけはないわけで……

そしてソトの人は「ソトのルール」を持っています。ソトの人の持っている「ソトのルール」と、訪れた地域の「ナカのルール」を比べてみて、「ナカのルール」に従った方が快適な生活がおくれるということになれば、ナカの人になってくれるわけです。

例えていうなら、常連さんが大きな顔をしてる呑み屋に入った時のアウェーな感じを楽しめる人なんて、あんまりいないんですよ。人間は趣味でもない限りあえて「不便な環境」には行きたがらないですから、ソトから人に来てもらいたかったら、滞在している間、気持ちよくなってもらうしかないんですよね。

地域の人だって携帯電話は持ってるので、僕も滞在している間、テザリングなどでネット環境を構築できる可能性はあったのに、その地域に通信会社の営業所が存在していないから手続きが出来ない。有線のCATVも一ヶ月とかの比較的短い滞在の為には加入料が高すぎる。その結果、僕はその地域の通信網には参入できなかったわけです。もしもその地域の行政が通信環境を部外者にも与えてくれていたなら、僕はあんなに不便な一週間を過ごす必要はなかったわけです。

(多分長くなるのでこの話の続きはちょこちょこ書いていくことになるんじゃないのかな……)

「復興」ってなんだろう……

2013年1月15日 火曜日

復興住宅関係の仕事に関わることになったので、現時点で、僕が思っていることや疑問を書き出しておこうと思う。まぁ最終的には、こういった疑問に対しての僕なりの答えが出たらいいなぁぐらいの感じです。

疑問.1)復興ってなんだろう?

読んで字のごとし、「復(マタ)興す」ってことなんだと考えてみた。

まず「興す」の意味は「衰えていたものを、再び勢いづかせる」ってこと。「復」の字は「元の状態に戻す」という意味。だから「復興」ということは「興した状態に戻す」という感じなのかな。ここで疑問が……

現在の「マズい状態」になる前って、本当に「良い状態」だったのか?ってこと。

例えば東北だけど、地方全体として人口がずっと減少していた地域ですよね。じゃあ復興しますって、どの状態まで戻すつもりなんだろう……地震前の状態に戻しても、結局人口は流出していた状態だったんだから、ほんとうにそれで復興っていえるのかな?短期的に人口が戻ったとしても、一息つけば再び人口が減少していくんじゃないの?

疑問.2)コミュニティには賞味期限があるんじゃないだろうか?

たしかジャーナリストの津田大介が、コミュニティをつくる時の目安が約3年みたいなことを書いていた記憶がある。3年という期間の妥当性はともかく、「面白いこと考える人達」が始めたことは、時間が経つにつれて「たいして面白くない人達」のイベントになっていくような気がする。そしてその頃にはもともとの「面白いことを考える人達」は、さらに新しくて面白いことを始めている気がする。つまりあるコミュニティが面白い期間には限界があるのではないだろうか。まぁ実例というかすぐに思いつくのはmixiだったり……結局、面白い人のいる所に人は流れていくし、面白い人は次々と面白いフィールドを開拓していくイメージがあって、あまり一カ所には留まっていないように感じる。

疑問.3)「外部発生によるイベント駆動型まちおこし」と「自律発生によるイベント駆動型のまちおこし」はどちらが息が長いんだろう?

ある地域の当たり前が、他所から来た人にとったら非常に面白いということは確かにあると思う。Youtube等で日本に滞在する外国人が日本を紹介する映像に寄せられるコメントを読むことで、外国人にとっての興味と日本人の日常とのズレに気づくことがある。例えば僕の住んでいる奈良では、鹿がそこら中にいて、煎餅をあげるとお辞儀することは日常だけれど、他所の地域の人から見たら非日常なわけで……

「地域の外の人」に来てもらいたかったら、当然「地域の外の人」が興味を持つことで勝負するのが一番な訳だから、「外部発生によるイベント駆動型」は間違ってはいないと思う。だからといって、常に「外部から見たら非日常な日常」を押し付けられる、または維持し続けなきゃいけないコミュニティというのも、あまり幸せそうとは思えない。となると、コミュニティ内部から「僕たちは腹をくくってこれをし続けるんだ!」って思えること、つまり「自律発生型のイベント」で勝負した方がいいんじゃないだろうか?でもそんな面白いことやり始めたら、外の人がほっとく理由がないんじゃないの?……という堂々巡り状態。

こういう問題は、結論は出ないものなので、まぁ頭の隅にでも置いておこうかなと思います。