
年賀状は基本的に書かないようにしているので、Blogでご挨拶
昨年はこの国に住んでいる限り、どんな人でも東日本大震災の影響を、大なり小なり受けざるを得なかったわけです。実際に被災した人はもちろんですが、関西電力管内の人は、この冬に節電要請が身に降り掛かるなんて想像もしていなかったのではないでしょうか。
この社会は、想像している様相よりも遥かに複雑に絡み合って存在しているけれど、その繋がり自体は弱い結びつきでしかありません。弱い結びつきが連続的、重層的になっている為に複雑化しているわけです。
建築という行為もまた、おなじようなものです。
行政がかける制限のひとつひとつは、それほど複雑なものではありません。構造計算も、よほど複雑な建物でない限りは、ルールに則って計算されます。ただそれらが、あるスケールを超えると、手に負えなくなるほど複雑化していくということです。
そして建築家である僕たちが、複雑な行政手続きと、コンピューターによってブラックボックス化した構造計算の上に建物を成立させても、常に「想定外」という名の災害がやってきて破壊していきます。
法律も構造計算も、どちらも枠組みを提供するものである限り、どうしても現実の枠組みから外れた事象=「想定外」がおこります。矛盾といってしまえばそれまでですが、この矛盾を解決する方法は今のところありません。
複雑なものを単純化して解いてきたのが、現在の科学技術ですが、ひょっとしたら、複雑なものを、複雑なままに解く方法があるのかもしれません。コンピューターがもっと発達すれば、そういった問題を解けるようになるかもしれませんが、少なくとも今の技術では不可能です。
残念な事に、複雑なものを解決する(したようにみせる)ことができるのは、人間の「経験」と「直感」です。経験と直感を働かす為には、自動化できる仕事は、可能な限り自動化してしまって、頭と手をつかう時間を増やすしか方法がありません。
頭で考えて、手を動かして、フィードバックしてまた頭を使う。
それが多分、どんな分野でも求められていく「物事の有り様」なんだと思っています。