多人数と暮らす

「孤独死」という言葉は、英語でも「kodokushi」で通じるぐらい、近かごろ増加している問題です。「過労死」という言葉が同じように「karoshi」と、発音そのままに英語になっているところから考えると、日本に顕著な問題なのかもしれません。

孤独死などが起きやすい環境というのは

1. 高齢者

2. 独身男性

3. 親族が近くに住んでいない

4. 職業についていない

5. 慢性疾患を持っている

6. 隣家に無関心な賃貸住居に住んでいる

などといわれています。 日本の家族形態は、核家族が約6割、単身世帯が3割ですから、子供が独立し、配偶者に先立たれ、慢性疾患を煩いながら定年退職した男性は、まさに孤独死予備軍と言ってもいいぐらいです。「核家族化」なんてずいぶん前からいわれていますが、核家族という形態は江戸時代からすでに一般的でした。江戸は当時世界最大ともいわれていた巨大都市でしたから、都市生活に向いた家族形態なのかもしれません。

「孤独死」という問題が起こった時、「親族と疎遠だった」とか「地域の繋がりが希薄だった」等と、個人や地域の問題にしがちですが、実際はかなり広範囲に及ぶ社会問題であるわけです。ビジネスがグローバル化した世界では、世界中に人もモノも飛び回ってますから、「親族の近くで暮らす」という事は、人によっては、かなりの制約を受けて生活することになりかねません。「プライバシーが欲しい」、「他人に煩わされるのは嫌」といって、都市で一人で楽しく暮らすのもいいものですが、いよいよとなった時に「他人と暮らす」という選択肢を持てるかどうかというのが、この問題を解決する要因だと思っています。

最近はシェアハウスやグループホームも増えてきましたが、まだまだ日本の賃貸住宅はバリエーションが少なく、他人と部屋をシェアすることもままなりません。キッチンや風呂、トイレなどの住宅設備は高価ですから、清潔に使用するという事さえ徹底出来れば、少人数でシェアした方が効率がいいのですが、なによりも「他人と住む」ということの心理的ハードルが高いのが問題です。 親友や親兄弟と長期旅行に行った結果、不仲になった経験がある人は多いと思いますが、こういうのは「他人とべったり一緒にいるということ自体がストレスだ」という良い例ではないでしょうか。

「他人と暮らしたいけど、プライバシーは欲しい」という相反する問題は、なかなか解決が難しいと思われます。 そしてこういう問題は、万人に当てはまる解答というのが無いので、相談されると困っちゃうわけです。孤独死を避ける為に伴侶を求めるという本末転倒なことはお勧め出来ませんから、やっぱり腹をくくって他人と暮らすという選択をしなくちゃいけない時代になるのかもしれません。

極私的な解決方法として提案したいのは、「他人と暮らす」ではなく「多人数で暮らす」ですね。赤の他人、それも国も民族も言葉も宗教も、みんなバラバラの人間が、食事だけ一緒に食べるという約束をして、同じ建物の中で勝手に生きているのがいいなぁと思っています。 インド人とイギリス人と日本人でカレーを食べたり、イタリア人と日本人でピザを食べたりすると楽しいかもしれませんよ。喧嘩になる事もあるとは思いますが、どうせ興奮したら地の言葉が出るものです。それぞれの国の言葉で喧嘩すれば、意味も多分半分ぐらいしか分からないでしょうからダメージも少ないと思うんですが、どうでしょうかね。

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