目的と道具

僕が学生のころ、コンピューターの授業でBASICという言語を学びました。それを学ぶ中で僕は2つの事柄を実感しました。ひとつは「物事をつくるのには論理的な組み立てが必要だ」ということ。もうひとつは「それを行う道具は技術の進歩により常に時代遅れになる」ということです。いまBASICなんてほとんど使われていません。理系の方ならFORTRANを学んだ人も多いと思いますが、ある程度の科学計算なら、もはやEXCELで十分ですからね。

現在、建築の図面はCADで描かれます。頑に手描きを守っている芸術家肌の方もおられますが、業界のほとんどはCADを使用しています。CADが出始めたとき「やっぱり手描きじゃないと…」って導入に消極的だった人はたくさんいました。でも結局はほとんどの人がCADに変わりました。(非常に高価だったから導入できなかったという人もいましたが、そういう人はコンピューターの価格が劇的にやすくなった時にサクっと導入しています。)

携帯電話が普及してきた時も、いろんな理由をつけて、頑に所持するのを拒んでいた人もいましたが、そういう人は今も持ってないんでしょうか?多分違いますよね。ほとんどの人が必要に迫られて所持しているはずです。

なんで新しい変化を拒むのかというと、「目的」と「道具」を混同するからです。書道家でもない限り、鉛筆を使おうが、シャープペンシルを使おうが、どっちでもいいはずなんです。「目的」は「書く内容」であって、「何で書かれたか?」が問題ではないからです。

「目的」と「それを達成する為の道具」は分けて考えるべきです。

世の中には「長い時間変わらないもの」と「短い期間で変わるもの」の二種類があります。一番最初の例でいえば「論理的な思考」は「変わらないもの」、「BASIC」は「変わるもの」です。「目的」の寿命は長いけれど、「道具」寿命は、それに比べると短いのです。だいたいひとつの変化は、この両面をもっていると僕は考えています。

スマートフォンが普通になってきてますが、インターネットを使わない人がスマートフォンを持っていたって、使用料が高くなるだけで何もいいことはありません。らくらくフォンで十分じゃないでしょうか。

結論として、物事の変化が大きい時代になればなるほど、なにが「変わらないもの」であるかを考えないと、結局のところ道具に使われて高い授業料を払うことになるよってことです。

でもまぁ、高い授業料を払った結果、思いのほか面白いことにぶち当たったりするのが人生だったりするんですけどね……

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