言葉の話①

建築やっていると、空間やものの在りようを言葉で表現する必要に迫られます。

そもそも文筆家や詩人でもないのに、言葉を操らなければならないというのは、ものすごく負担です。だから建築には向き不向きがあると思います。技術的な話ですませたくても、それで相手にして納得してもらえなくなると、途端に難しい言葉を使わなくてはならなくなってきます。

学生の頃、なぜか建築界隈では、フランス思想の言葉が流行っている時期がありました。デコンとか何とか……僕は、そのとき、先輩方や偉い先生が何を喋っているのかさっぱりわからなかったし、今でも理解できないけど、自分で仕事をしてみてわかったのは、借り物でもいいから、それっぽい言葉を紡いでいかないと、説明出来なかったのじゃないだろうかと思うようになりました。

だいたい思想の言葉を、三次元の実際の建築に翻訳することは無理があると思うわけですよ……あのときに難しい言葉で、ハリネズミのように武装した結果、一般人からはそっぽを向かれて、建築家が作るものは、わけがわからない変わったものだという認識になっていったのではないのかと思っているわけです。

それはそうとして、言葉というのはすごく大事で、ダイレクトに届けばそれでいいというものでものないし、時間をおいて届くものもあるし、ミスリーディングされたものが意味をもつ場合もあります。でも相手がどう受け取るかということは全く保証されないので、プレゼンや打ち合わせに行くたびに、後から、ああ言えばよかった、あれは不味かったという残念な気持ちばかりが湧いてきます。そして自分がダメだと思っていても、評価してもらえたりすると、全く何が何だかわからなくなってきます。

クライアントの要求が、一般的なものとかけ離れている場合もあります。それを技術的に一般的なものにしていくわけですが、どうしても最後まで、何とも言えない要求のまま、突っぱねられることだってあります。要求どおりの仕様にしているはずなのに、出来上がったら文句言われることもあります。クライアントが言ってることを、会議の出席者が全員、同じように理解して、プロジェクトを進めていても、最後の最後に出てきた、たった一人の空気を読まない意見で覆されることだって多々あります。

じゃあミスリーディングをなくせばいいのかというと、そういうわけでもないところが痛し痒しなわけですが、このあたりの情緒的な判断がつきまとう限り、いくら人口知能が進んでも、人間の領域は無くならないと思える領域でもあります。

まぁ建築家とお付き合いすることになった人は、なるべく長時間、その人と接して、建築以外の話題で話すようにして、ギャップを埋めていけば、それなりに仕事がスムーズにいくのではないかと思います。

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