年末から新年にかけて、家に人を呼んだり、他人の家を訪れたりする機会があった人もたくさんおられるのではないでしょうか?
他所の家にいくと、どうしても自分の生活との違いを否応無しに見せられるので、僕は結構面白かったりするのですが、人によっては居心地が悪かったり、妙に落ちつかなかったりすることもあると思います。
考えてみれば、自分と同じ人間は一人もいないのだから、人の生活というものは、それだけで非常にオリジナリティに溢れているとも言えるわけです。 しかし、生活が多様であるのに比べて、供給される住宅はそこまでの多様性を持っているかと言えば、そうでもないような気がします。
もちろん住宅を建てる土地というものが、ひとつとして同じものがないように、土地の上に建つ建物も、なにかしらの違いがあります。そういう現実的な差異ではなく、生活におけるコンセプトみたいなものの多様性があまりないということです。 例えば集合住宅などは、基準平面というものがあるので、わずかな差異はあれど、ほぼ同じ住戸が積み重なっています。その基準平面も売れ残らないように考え抜かれた結果、どの供給会社の住宅もそんなに変わった間取りはありません。
そんな同じ様な間取りが溢れているのに、他人の家にはいると、自分の家とは全く違うという事を感じるのは何故なんでしょうか?
それは家族構成や所持しているモノの値段や数でもあるのですが、一番大きな違いは「生活の中で起こってくる問題を解決する優先順位」というようなことだと僕は考えてます。モノが多くなると掃除は大変になりますが、掃除にかかる手間よりも、モノが増える事の喜びを感じる人なら、モノが多くなるのはしょうがないという感じでしょうか。
これから日本は人口減少社会になりますので、前の世紀のように建設期間も短く、コストも安い、画一的な住宅を大量に供給する必要は無くなります。おそらくは、多様で複雑な住宅が求められるようになるでしょう。 今後は金銭的にも物質的にも身の丈にあった、生活に寄り添うような家に住む。そういう事が当たり前になっていくのだろうと思います。







