‘あれこれ思うこととかetc’ カテゴリーのアーカイブ

多人数と暮らす

2011年1月13日 木曜日

「孤独死」という言葉は、英語でも「kodokushi」で通じるぐらい、近かごろ増加している問題です。「過労死」という言葉が同じように「karoshi」と、発音そのままに英語になっているところから考えると、日本に顕著な問題なのかもしれません。

孤独死などが起きやすい環境というのは

1. 高齢者

2. 独身男性

3. 親族が近くに住んでいない

4. 職業についていない

5. 慢性疾患を持っている

6. 隣家に無関心な賃貸住居に住んでいる

などといわれています。 日本の家族形態は、核家族が約6割、単身世帯が3割ですから、子供が独立し、配偶者に先立たれ、慢性疾患を煩いながら定年退職した男性は、まさに孤独死予備軍と言ってもいいぐらいです。「核家族化」なんてずいぶん前からいわれていますが、核家族という形態は江戸時代からすでに一般的でした。江戸は当時世界最大ともいわれていた巨大都市でしたから、都市生活に向いた家族形態なのかもしれません。

「孤独死」という問題が起こった時、「親族と疎遠だった」とか「地域の繋がりが希薄だった」等と、個人や地域の問題にしがちですが、実際はかなり広範囲に及ぶ社会問題であるわけです。ビジネスがグローバル化した世界では、世界中に人もモノも飛び回ってますから、「親族の近くで暮らす」という事は、人によっては、かなりの制約を受けて生活することになりかねません。「プライバシーが欲しい」、「他人に煩わされるのは嫌」といって、都市で一人で楽しく暮らすのもいいものですが、いよいよとなった時に「他人と暮らす」という選択肢を持てるかどうかというのが、この問題を解決する要因だと思っています。

最近はシェアハウスやグループホームも増えてきましたが、まだまだ日本の賃貸住宅はバリエーションが少なく、他人と部屋をシェアすることもままなりません。キッチンや風呂、トイレなどの住宅設備は高価ですから、清潔に使用するという事さえ徹底出来れば、少人数でシェアした方が効率がいいのですが、なによりも「他人と住む」ということの心理的ハードルが高いのが問題です。 親友や親兄弟と長期旅行に行った結果、不仲になった経験がある人は多いと思いますが、こういうのは「他人とべったり一緒にいるということ自体がストレスだ」という良い例ではないでしょうか。

「他人と暮らしたいけど、プライバシーは欲しい」という相反する問題は、なかなか解決が難しいと思われます。 そしてこういう問題は、万人に当てはまる解答というのが無いので、相談されると困っちゃうわけです。孤独死を避ける為に伴侶を求めるという本末転倒なことはお勧め出来ませんから、やっぱり腹をくくって他人と暮らすという選択をしなくちゃいけない時代になるのかもしれません。

極私的な解決方法として提案したいのは、「他人と暮らす」ではなく「多人数で暮らす」ですね。赤の他人、それも国も民族も言葉も宗教も、みんなバラバラの人間が、食事だけ一緒に食べるという約束をして、同じ建物の中で勝手に生きているのがいいなぁと思っています。 インド人とイギリス人と日本人でカレーを食べたり、イタリア人と日本人でピザを食べたりすると楽しいかもしれませんよ。喧嘩になる事もあるとは思いますが、どうせ興奮したら地の言葉が出るものです。それぞれの国の言葉で喧嘩すれば、意味も多分半分ぐらいしか分からないでしょうからダメージも少ないと思うんですが、どうでしょうかね。

モノの見方を変える

2011年1月11日 火曜日

これから生きていく事は、撤退戦を戦い抜く事でもあるわけです、というのが前回の終わりでした。

昔から、殿(シンガリ)は、戦上手な人がまかされるように、撤退しながら戦うというのはとても難しいことです。逃げるだけでは追いつかれるし、かといって踏みとどまっても援軍は期待できません。逃げながら戦うというか、反撃して相手の追撃スピードを遅くさせているうちに、機をみて全力で逃げられる隙を探すわけです。

隙を見つけるには、正確な情報が必要になります。「なにが正しいのか」というのは個人で変わってきますが、今回はモノの見方を変えると、情報も変わってきますという話です。

例えば、預金通帳を見てみると、貸し借りした金額の記入場所が、一般の帳簿の場所と反対になっている事が分かります。これは「銀行に預金する」ということは、銀行にとってみれば「いつか必ず返さなくてはならないお金を借り入れる」ことになるからです。僕たちの預金は、銀行にとったら「負債」になります。「銀行に預金している」と「銀行に貸し付けている」はずいぶんイメージが違いますよね。

「銀行に貸し付けている」と考えはじめると、銀行を選ぶのも慎重になります。より高い金利の銀行を、より金利のいい預金プランを選択するのも当然になってきます。口座の維持手数料はゼロですから、複数の金融機関に口座を開設して、金利のいい金融機関に預け直すのもひとつの戦略になってきます。

もうひとつ例を挙げておきます。 「住宅ローンで銀行からお金を貸りてる」といいますが、これは「銀行の住宅ローンという金融商品を購入している」とも考えられます。

住宅ローンの本質は「過去の一時期に、住宅購入費という現金を貰う代わりに、長期にわたって現金を銀行に渡す約束」です。約束が長期にわたるために、銀行はリスクを産出して、金利を設定し、保険をかけます。いくら潰れかけたら税金が投入される金融機関でも、リスク管理はちゃんとしてます。

それに比べて、購入者の方はどれほどのリスクを算定しているかというと、ローンの担当者に返済プランを出してもらって、他所の金融機関と見比べる程度という人が一番多いのではないでしょうか。むしろ「いくら融資してもらえるか」の方に眼がいってしまう人が多いと思います。

いまはパソコンを買えば、表計算ソフトがついてくる時代です。長期にわたる複利の計算なんてすぐにできます。ということは、ある程度の予測をたてて、お金に関する計画を建てる事もそんなに苦にならないはずです。 今の時代、情報は限りなく無料に近づいていますので、大きなお金を動かす前には一度現実的な数字を作って、自分で考える時間を取るのが大切になってくると思います。

ボーナスステージは終わった

2011年1月6日 木曜日

僕は1973年生まれなので、いわゆる団塊ジュニアの世代に当たります。

子供が多いものだから、それこそ十把一絡げのように育ったわけですが、成人する時にちょうどバブルが崩壊し、「失われた10年」というモノがやってきました。今でもずっと続いている「就職氷河期」に突入した世代ということになります。 まわりを見渡しても、フリーターは当たり前。結婚していない人、結婚しても子供はいない人はゴロゴロいます。世間は第3次ベビーブームみたいなものを、僕らの世代に期待していたようですが、そもそも就職もしていない、食っていくのに精一杯な人間が多い世代に子供を作る余裕なんてありませんでしたという感じで、期待されたベビーブームは消失してしまいました。

あまり合理化されていない社会では、生産量は人の頭数で決まりますから、「人口が増える=豊かになる」という図式が大雑把に当てはまります。ですが、現代のようにある程度合理化が進んでしまうと、人が増えてもそんなに生産力は増加しません。むしろ期待される生産量から、食べていける人数をカウントして調整する方が、個人レベルでは合理的な行動になりうるからこそ、ベビーブームはこなかったわけです。

国土には限りがあり、人口が減るのだから、当然今まで埋まっていた住宅やテナントビルにも空きが出てきます。今までならたくさんの人が競って購入してくれた不動産も、購入者が減ることにより割安になっていくでしょう。非正規雇用が増えているので、住宅のような高額商品は購入すらしてもらえなくなりそうです。住宅よりは価格の安い車やバイクを所持している人の数も、海外旅行者の数も、毎年減っています。もう「モノはあるのに買えない時代」に突入しているのです。

頼みの綱だった団塊ジュニアですら子供を産まないのだから、「人口増で経済は上向く」という現象は、もはや見込めません。あれは戦争で焼け野原になって国家が破産し、そこから立ち上がった時に起こった一過性のボーナスステージだったと認識しなくちゃなりません。

部分的な経済成長は存在するので、ITバブルのような小さなバブルはちょこちょこくるかもしれません。しかし、おそらく今から生きていく人は、人生のほとんどの時期を経済が萎んでいく撤退戦として過ごすことになります。撤退戦を生き抜いていく為の住処。これからの住宅に求められるひとつの要因だと僕は思っています。

他人の部屋では、なかなかくつろげないものです。

2011年1月5日 水曜日

年末から新年にかけて、家に人を呼んだり、他人の家を訪れたりする機会があった人もたくさんおられるのではないでしょうか?

他所の家にいくと、どうしても自分の生活との違いを否応無しに見せられるので、僕は結構面白かったりするのですが、人によっては居心地が悪かったり、妙に落ちつかなかったりすることもあると思います。

考えてみれば、自分と同じ人間は一人もいないのだから、人の生活というものは、それだけで非常にオリジナリティに溢れているとも言えるわけです。 しかし、生活が多様であるのに比べて、供給される住宅はそこまでの多様性を持っているかと言えば、そうでもないような気がします。

もちろん住宅を建てる土地というものが、ひとつとして同じものがないように、土地の上に建つ建物も、なにかしらの違いがあります。そういう現実的な差異ではなく、生活におけるコンセプトみたいなものの多様性があまりないということです。 例えば集合住宅などは、基準平面というものがあるので、わずかな差異はあれど、ほぼ同じ住戸が積み重なっています。その基準平面も売れ残らないように考え抜かれた結果、どの供給会社の住宅もそんなに変わった間取りはありません。

そんな同じ様な間取りが溢れているのに、他人の家にはいると、自分の家とは全く違うという事を感じるのは何故なんでしょうか?

それは家族構成や所持しているモノの値段や数でもあるのですが、一番大きな違いは「生活の中で起こってくる問題を解決する優先順位」というようなことだと僕は考えてます。モノが多くなると掃除は大変になりますが、掃除にかかる手間よりも、モノが増える事の喜びを感じる人なら、モノが多くなるのはしょうがないという感じでしょうか。

これから日本は人口減少社会になりますので、前の世紀のように建設期間も短く、コストも安い、画一的な住宅を大量に供給する必要は無くなります。おそらくは、多様で複雑な住宅が求められるようになるでしょう。 今後は金銭的にも物質的にも身の丈にあった、生活に寄り添うような家に住む。そういう事が当たり前になっていくのだろうと思います。

“閉じる”ことは、”開く”こと

2010年10月13日 水曜日

レアアース(希土類)の話題を最近よく耳にします。英語で “rare earth elements” と綴られる通り、非常にレアな元素類の事です。実は金(Gold)などの貴金属の産出量よりは多かったりしますが、分離精製が難しいのでこういう名前になったのですね。

では反対に地球上で最も多い元素は何か? 実は酸素です。次はケイ素。その後アルミニウム、鉄、カルシウム……とおなじみの名前が続きます。ケイ素は半導体の材料でもありますが、ガラスの材料でもあります。

建物の材料として考えると、構造材として、鉄骨や鉄筋が用いられてますし、窓はほとんどがアルミか鉄のフレームにガラスをはめて制作されています。断熱材に用いられるグラスウールも文字通りガラス繊維(glass wool)ですからケイ素で出来ています。建物は、たくさん取れて、価格も手頃で、とりあえず枯渇する事のない材料で出来ている訳です。

建物というのは人間が生きる為のシェルターですから、人間の歴史と同じように長い歴史があります。とはいっても、狩猟採集の時代は獲物を追って移動する日々ですから、恒久的な建物なんて邪魔になるので必要ありません。いまでも遊牧民の住居は持ち運びの出来る組み立て式ですから想像はできると思います。だから人間が定住するようになって初めて地面に固定した建物が必要になってくる訳です。

エジプトやギリシャの石造の建築物は紀元前からありますし、日本でも竪穴式住居は旧石器時代の後期からあったようですので、人類は約一万年前には木を材料としてシェルターを建てていた事になります。いまでも住宅は木造が多いですから、家の材料は根本的にはあまり変わってない事になります。

しかし技術の発達によって近年、新参者が参入してきます。アルミニウムの窓枠、アルミサッシです。

アルミサッシは日本では昭和7年に村野藤吾氏が設計した近三ビルで初めて使われます。昭和7年ですから1932年の事です。昭和27年(1952年)には、今でも主流のアルミ押出成形法で造られたアルミサッシが前川国男氏設計の日本総合銀行で採用されます。昭和30年代からは住宅にも利用され始めて、昭和40年代の中頃には、ほぼ100%採用されるようになりました。

数千年の歴史を誇る材料群と、たかだか100年にも満たないアルミサッシの組み合わせは、けっこう巧く組み合わさった部分が多かったのですが、問題も出てきました。

熱伝導率と気密性です。

木や石に比べるとアルミは熱を通しやすいので、冬場は冷たくなるし、夏場は熱くなりました。加えて気密性が高かったので、建物の中から発生する水蒸気が上手く排気されなくなったのです。冬場に開放型の石油ストーブの上にやかんを置いて生活すると、窓際が結露水で濡れるなんて事は当たり前。最悪の場合、外部から酸素が供給されないので、不完全燃焼で一酸化炭素中毒なんていう問題も出てきました。

建物が高くなると、風も強くなるし、雨も横殴りで降ってきます。窓の気密性を下げると、水が浸入してくる可能性が高い。だから安易に気密性は下げられない。でもあまりに高い気密性で別の問題が起きてしまう。建築基準法でも室の換気量を決めたり、サッシメーカーも換気窓を設けたりしていたのですが、近年は常時換気システムを導入しなくてはならない所まできています。

雨風を防ぐ為に技術開発をしたら、逆に建物に穴をあけることになったという不思議な話が起こっているわけです。

a review of life

2010年10月6日 水曜日

日々どこかしらで「デフレ」という言葉が飛び交っていますが、個人の力では何ともならないものですので、なるべく影響を被らないように生きていきたいわけです。個人的には、これだけ円高なんだから、もっと円高還元セールをやってくれても良さそうなのに……と思っているのですが、なぜだか知らないけれど僕の廻りではあんまり目につきません。かなしい事です。

ともかく「デフレ」というからにはいろんなモノの値段が下がるわけで、大阪の繁華街、御堂筋の地価もここ2年で44%も下がったそうです。御堂筋の地価が、関西全域の地価を代表している訳ではないですけど、程度の差はあれ、全国的に見ても同じように地価は下落傾向なのではないでしょうか。

地価が急激に下がって何が不都合かというと、税金が高くなる事です。土地や建物を持っていると、固定資産税を納めなくてはなりません。その税額は固定資産税評価額というものが基準になる訳ですが、だいたい3年毎ぐらいで見直されます。ということは、あまりに急激に下がり続けると、直近の評価額よりも高い評価額で税金が決定されることになります。つまり「地価は下がっているのに、税金は高いまま」ということになってしまうわけです。

その上、土地と建物をローンで購入していたら金利がつきますし、最近の経済状況から考えると収入が減っている方も多いでしょうから、まさに家計はボディブローのラッシュをもらい続けているようなものです。

こういった社会の大波に個人レベルで対応できることといったら、まず「借金をしない」。そして「無駄なものは買わず質素に暮らす」というぐらいしか出来ないのですが、実はこういう事が一番重要だったりする訳です。みんなが消費を抑えたら「デフレスパイラル」という、今となっては懐かしい言葉がチラつくのですが、そんなことはありません。 生きていく為には、多かれ少なかれ消費しなくてはなりません。

「消費が冷え込む」と批判している人もいますが、そういう人は「社会全体が浮かれていた」というバブル経済後の反省を忘れてしまっているのでしょう。なんのことはない、たくさん持ってる人はたくさん消費すればいいし、もってない人はそれなりに消費すれば良いだけの話です。

問題は「持ってないのに、持っている人と同じように消費する(したがる)」ことですが、借金できる金額に規制がかかるこのご時世では、身の丈にあわない消費をし続けることもまた難しいわけです。ともかく身の丈にあった消費をする事を批判されるいわれはありませんので、自分の「身の丈」を知る良い機会と捉えて、生活をスリムにしていくのが一番得策ではないでしょうか。

バブル経済の後に「清貧の思想」という本が流行ったの覚えておられる方もいるんじゃないでしょうか? 最近では「ITバブル」とか「ヒルズ族」とかいう言葉とともに成功者がもてはやされた時代の後に、「ロハス」とかいう言葉が流行った記憶があります。世間の風潮が行ったり来たりしているだけで、もとから質素に生きている人はたくさんいてたわけで、たまたま一時期そういう人達にスポットライトが当たっていただけと考えるべきなのではないでしょうか。

こういう時期は生活を見直す良いチャンスだと捉えて、積極的に身の回りを整理していけばいいのですが、残念なことに、こういう話は当たり前の結論に、当たり前のように着地して、そして当たり前のように忘れ去られていくのです……

必要な時に必要なだけ……

2010年9月24日 金曜日

結婚や子供の誕生、学校への入学等、人生の大きな転機で住宅の購入に踏み切るという方が多いと思います。そして多くの方が、子供と暮らす期間は約25年程度であり、その後に同じ程度の期間、夫婦二人で暮らさなくてはならないという事実に目を瞑ってしまいます。

都市部ではかなり大きな家でもない限り複数世代同居は難しいですから、家族の構成人員は子供がいる時で最大。最終的には夫婦2人や独り住まいになる事が予想されます。そして子供がいる時期に合わせて家を購入してしまうと、老いて体力の弱ってくる時期に、自分達の生活より大きな家で暮らすことになります。

長い人生の中では、「大きな家」が幸せな時代もあるし、「小さな家」が幸せな場合もあります。田舎の大農家のように、3〜4世代の人間が一緒に住む伝統のある地域ならば大きな家も苦になりませんが、普通の人ならば自分の生活に合ったスペースで暮らすのが一番快適なはずです。

ちょっと古いニュータウンにいくと、その日の天気に関わらず、いつみても2階の雨戸が閉まっている戸建て住宅を目にすることができます。おそらく住む人間が減ったり高齢化したりして、生活が1階だけで完結してしまっているのでしょう。年金暮らしで収入が伸びないなか、いくら生活をコンパクトにしても、家が資産である限り税金は取られます。使いもしないスペースにコストがかかっていることに気がつくべきです。

ひとつ所に落ちつくのは確かに快適です。僕はここ10年で5回ほど引越ししていますが、その度に住民票の移転やインフラの移転手続きでヘトヘトになってしまいます。引っ越し代も馬鹿になりませんが、借金をしながら生きていくよりは、今の自分に見合った場所で快適に暮らす為のコストだと思って割り切っています。

それに引っ越しはモノを減らす良いチャンスです。旅行慣れしている人の荷物が少ないように、引っ越しもまた自分の所有物の要不要を見直す良いチャンスです。 自分の生活がどのくらいの広さを必要とするのか?そしてそれを維持する為にどれほどのコストがかかるのか?そういう事をちゃんと考えておかないと、払わなくても良いお金を払い続ける事になるのです。

機械の故障する時期

2010年9月13日 月曜日

普段と同じようにPCを立ち上げるとインターネットに繋がらない。再起動したり、ケーブルをさし直したり、無線LANの電源を入れ直したり、そういう事をいろいろと試みたあげく、問題の起こっているであろう機器に目星を付け、マニュアルを引っ張りだして書いてある事を全てやってみたけれどやっぱり復旧せず……

しょうがないからサポートセンターに電話してみたけれど延々と保留音を聞かされ、30分後にやっと繋がったと思ったらわずか5分ほどのやり取りで機械の故障ですと断言され、保証期間内だったので、メーカーに送り返す為に梱包作業をしはじめたら、ちょうどいい大きさのダンボールが見つからないので家捜しをしたりして、やっと配送が終わった時には半日過ぎていた……

という経験をつい先日しました。なんの生産性もない作業をするのも疲れますが、やはり電話の接続待ちに対して一番気が滅入ります。

それはともかく、機械は必ず壊れます。その期間が1年なのか、10年なのかは機械自体によりますが、一般的に故障率はバスタブ曲線(故障率曲線)を描きます。時間の経過を横軸、故障率を縦軸にしてグラフに表すと、最初の初期故障期と経年変化による摩耗故障期が高く、その間の偶発故障期については低くなるので、ちょうどバスタブの断面図のような曲線が出来上がるわけです。

初期故障期は大体メーカー保証期間(大概1年間と設定されています)で対応できます。そこまで故障が無かった場合、だいたい買い替えの時期まで壊れる事はないというのが僕の実感ですが、一般的な実感としてもそんなに外れてはいないと思います。 そんなに高額でないものならば、故障をしたり、古くなって自分の要求するスペックを満たせなくなった時に買い替えればいいわけですが、高額機器の場合は、ある程度計画的に資金を持っておかなくてはなりません。

例えばエアコンは7〜8年で買い替える人が多いそうです。そのぐらいの期間になると、稼働はしているけれど、エアコンの効きが悪くなり、電気代が気になりだし、騒音がひどくなってきたりして買い替えようという気になる人が増えるというわけでしょう。ということは、7年くらいでエアコンを買い替えるお金を貯めておかなくてはならないというわけです。

最近では住宅設備の中にも高額機器が増えてきています。例えば太陽光発電システムはかなり高額なので購入時に補助金が出たりもしますが、残念ながら機械である限り、年々発電効率は落ち、いつかは壊れるわけです。購入時に資金計画モデルを示されて「機器購入費は電気を売った儲けで約何年間で回収出来ます」というようなことを言われるわけですが、それを見ても故障する事まで予想する人はあまりいません。そして修理代や再購入費に補助金が出るかというと、ちょっと難しいような気がします。

メーカーなら故障率は把握しているでしょうが、一般人がそういったデータを手に入れる事はあまり無いでしょう。ですから、一般的な対応として、メーカーの保証期間が過ぎれば機械は故障するという事を頭に入れて準備しておくしかありません。

住宅スペース的な事を考えると、万が一の為に機械の元箱を保管してたりする事が多いと思うのですが、後で箱付きで売るのでもなければ、保証期間が過ぎれば捨ててしまっても、ほとんどの場合は壊れる前に廃棄することになるので大丈夫という事です。大きな機械なら箱や緩衝材だけでも場所をとりますからね。

実際のところ、箱を捨てたあとに壊れたりすると、やっぱり段ボールを探しにいくしかないのでしょうけどね……

防災の日ですから……

2010年9月1日 水曜日

今日は「防災の日」なので、関係した話題をひとつ。

都市直下で起こった巨大地震であった阪神・淡路大震災の被害者は6,434人。その8割近い5,000人近い人が木造家屋の倒壊によって下敷きになり、即死しています。神戸市だけでも2,456人が亡くなっている訳ですが、その9割近い2,221人の人が建物倒壊から15分以内に圧死及び窒息死で即死したということが分かっています。

現在の耐震性を考慮した家屋であっても、淡路島の北淡震災記念公園で見学出来る野島断層のように、家を支える地面自体が1m以上も隆起したり横ずれしたりされると、とても安全性を維持するのが難しくなってきます。 では住宅に関して、東海・東南海・南海地震のようにくるのが分かっている巨大地震に対して何か出来る事はないのかというと、ちゃんとあります。

それは「モノを減らす」こと。そして「高価なモノを極力所持しない」ということです。

家の梁や上階の架構に押しつぶされるというのは、なかなか避け難いですが、転倒してくる家具に押しつぶされるというのはある程度回避出来ます。固定してしまえば避難する時間ぐらいはかせげます。モノが少ないと、倒れてきたり、壊れたりするモノも必然的に少なくなり、結果的に避難が容易になります。

避難所にはそれこそ身ひとつで入るはめになる事を考えれば、盗まれて困るものは最小限にしておかないと落ちつく事も出来ません。手に入りやすい商品で生活しておけば、失っても買い直す事が出来ますし、なによりも精神的なダメージが少なくて済みます。あとは最低72時間程度生き抜ける備蓄を用意して、災害袋を用意しておくことでしょうか。

そうはいってもモノを減らすのは本当に難しいです。特に思い入れのあるモノは手放しにくいので、とりあえず手近なものから減らしてみてはいかがでしょうか。読まなくなった文庫本や、時代遅れの自己啓発本なんかは売りに出してみるといいと思います。

建築家的営業をしておくと、耐震診断とか耐震補強に補助金を出してくれる市町村はあるので、そういうのを利用して自分達の住んでいる住宅が、どの程度の強度を持っているのか理解しておくのも大事な事だと思います。

電気代<入院費用

2010年8月3日 火曜日

今年の夏も暑いですね。

エコとか、景気の低迷とか、デフレの影響とかのおかげで、最近はエアコンの使用を控えたり、設定温度を高めにしてサーキュレーターを併用したりするようになってきています。では実際にエアコンの電気代ってどの程度かかるかご存知ですか?

エアコンのマニュアルには消費電力が記載されていますから、それをもとに大体の電気代が計算できます。例えば、冷房の消費電力が1000Wであったとします(これは14畳程度用の冷房能力をもつエアコンの消費電力になります)。これを一日のうち18時間ほど使用したとしましょう。 これより一日の消費電力は

1000W×0.001×18h=18kWh

これに電気料金をかけます。地域によっても契約によっても違いますが、大体25円/kWhぐらいでしょうか。これにより1日あたりのエアコンによる電気代は

18kWh×25円/kWh=450円

となります。1ヶ月なら450円×30日で13,500円位です。

通常は設定温度付近になるよう、エアコンが自動的に断続運転しますから、もう少し安い金額になると思います。が、それでも通年使用する電化製品の電気代以外に、夏の間、1ヶ月につき13,500円も電気代が余分にかかるとなると、家計的にもかなりの負担と思われます。

ところで、入院費用ってどのくらいかご存知でしょうか?

病状や怪我の程度によって変わりますから正確にいくらとはいえませんが、平均して15,000円/日ぐらいだそうです。保険のCMでは「入院給付金で5,000円。より手厚い保障をお求めなら10,000円/日」なんて宣伝していますし、治療費もかかることを考えると、1日あたり約15,000円程度の金額がかかると考えても良さそうです。

今年は既に100人以上の方が熱中症で亡くなっていますが、屋内で、それも自宅で熱中症になる方の中には、エアコンが設置されているにも関わらず、利用しないで熱中症になってしまう方もいるようです。病院に搬送された方の約半数が65歳以上の高齢者なので、体力が衰えてきた年齢にもかかわらず、がんばって節約した結果、病院のお世話になってしまった人もたくさんおられるんでしょう。

しかし、前の方で計算したように1ヶ月間エアコンを使わずに、電気代を安くしようと考えても、1日でも入院したら、節約した電気代の1ヶ月分と同じぐらいの金額を病院に支払わねばなりません。 そのことを考えたら、エアコンを頑に使わないことは、そんなにお得な事ではないのかもしれません。

上手にエアコンを利用すれば、上記の計算よりも電気代は安く済みますし、なによりも熱中症で死んでしまったら元も子もありません。

目先のお金より、大事な命です。 エアコンも上手く使えば悪いものでもないですよ。